連載小説 
追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                   作:夢野 仲夫


      偶然の再会「イタリア料理まちかど」

 美津子との再会1

 店に入ったとき、ふとカウンター席の隅に何気なく目をやった。そこには三十歳過ぎと思われる上品な女性がカルボナーラを食べていた。柳原良(やなぎはら・りょう)は、その女性にどこかで会ったことがあるような気がした。女性も視線の気配を感じたのか後ろを振り向いた。
 「あっ!」−それは同時であった。

   美津子との再会2
 まぎれもなくそれは美津子であった。学生時代、二人はこの店でよく食事をしたものであった。彼らは結婚したいと思っていた。しかし、それが不可能であることもお互いに分かっていた。二人の境遇は余りにも違い過ぎた。柳原良(やなぎはら・りょう)は安サラリーマンの息子であったが、美津子は有名企業の役員の娘であった

  美津子との再会3
 I want to marry you. But we cant. What shall I do? I love you. I loveyou.
 彼女が良(りょう)に差し出したメモに書かれていた。

 「わたしあなたと結婚したいわ。でも、できないのね。わたし、どうしたらいいの?大好き、大好き、あなたのこと。」
美津子の気持ちは手に取るように分かった。彼とて彼女と思いは同じであった。しかし、当時の彼にはなす術(すべ)もなかった。黙って見詰め合うだけであった。あれから二十年…

  美津子との再会4
 イタリア料理「まちかど」は柳原良(やなぎはら・りょう)が思い出したように、ときどき顔を出す店である。学生時代から通っていて、思い起こせば、もう二十年以上もの常連であった。学生でも通えたのはオシャレな内装にも関わらず、周辺のどの店と比べても値段が安かった。シェフも奥さんも、貧乏学生の彼らをいつも笑顔で迎えてくれ、その上特別なサービスまでしてくれることもあった。

 美津子との再会5
 シェフは当時三十歳過ぎたばかりだったが、店は順調だった。誰でも入れるイタリア料理店がコンセプトだったようだ。しかし、料理には決して手抜きはしなかった。それは生真面目な彼の性格によるものだろう。業者から仕入れた食材を、ほぼそのまま提供する店とは明らかに違っていた。店内をオシャレにして、料理の工夫といえば提供の仕方だけ、それとも知らず「良い店」とお客は評価して繁盛する。良はそういう社会風潮にうんざりしていた。

 美津子との再会6
 前菜は野菜の上にハムを乗せたシンプルなもの。ハムの代わりにサーモンのときもあった。ミネストローネのスープ、自家製のフォカッチャ(それにつけるアンチョビのオリーブオイルは店によっては臭うが、この店では決して臭わなかった)、パスタはトマト系かクリーム系の選択。当時、美津子はクリーム系、良(りょう)は決まってトマト系を選んだ。ドリンクもついていて、彼女は紅茶、彼はコーヒーを飲むのも当時のお決まりのパターンだった。

 美津子との再会7
 「お元気ですか?」
 彼はそう言うのが精一杯であった。彼女の目には驚きと懐かしさと戸惑いなど、人の持つありとあらゆる感情が胸中で渦巻いているようだった。
「あなたも?」
良(りょう)は彼女の斜め後ろに立ったまま、半ば呆然(ぼうぜん)としていた。
「リョウ君、みっちゃんの横に座ったら…」
シェフの勧めがなかったら、良はその場にずっと立ちすくんでいただろう。

 美津子との再会8
 タイムスリップでもしたかのように、そこに美津子がいる。日本的美人の美津子ではあるが、ハーフかクオーターを思わせる彫りの深い彼女の顔が、すぐ目の前に、しかも彼が手を伸ばせば届くところに。彼女は二十年前と何も変わっていない。ただ、二十年の歳月が彼女を少女から成熟した女へと変えているだけだった。二十年前と比べてややふっくらした緩やかな身体の曲線が成熟した女性を表していた。

 美津子との再会9
 二十年前と同じように彼にはペスカトーレが運ばれた。何も言わなくても、シェフも奥さんもそれが暗黙の了解でもあるかのように…。シェフも奥さんも彼らに話しかけようとはしなかった。二人の関係を最も知っていたのも彼らであったからだろう。
 「今は幸せかい?」
 「ええ、とっても…」
女性は現在の生活が姿・形に出やすい。彼女の容姿はまさしく優雅な生活を送るそれであった。

 美津子との再会10
「おばさんになったでしょう?わたし…。ずいぶん太ったし…。」
 彼女が四十歳を過ぎていることに、良は思いもよらなかった。年を取っているのは良だけでなく彼女も同じであることさえ気づかなかったのだ。それほど彼女は若かった。誰が彼女を四十を過ぎていると思うであろうか?
 「年を取ったのは僕の方だよ。君は昔のままだよ。」
香り立つ女の色気に、軽い戸惑いを覚えたことはおくびにも出さなかった。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

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