連載小説 追憶の旅     「第4章  別れのとき」
                                 作:夢野 仲夫


「第4章  別れのとき」

    (本文) 「美紀のマンションで」

 別れの時86 通算1051
 良は湯船で考え込んでいた。
 「俺はなぜここにいるんだ。千晴との残酷な別れを経験しているのに、また同じことを繰り返している。」自らの愚かな、そして自分勝手な行動に自己嫌悪さえ感じていた。
 「処女ではないから気にしなくていいのよ。」ウソまで言いながら良を求めた美紀。娘と見まちがえられても不思議ではない、美紀の気持ちに甘えている自分の存在が、許しがたいようにさえ思えた。
 良を見つめる恵里の一途な表情が頭をよぎった。

 別れの時87 通算1052
 人生の転換期を考えるとき、残されたチャンスは今しかないことも分かっていた。良は守るべき家族とのしがらみを切った。
 しかし、それは妻や子に愛想を尽かされた結果であった。彼は単なる給料の運び屋であったのだ。自由に生きるという名前の…。仕事に没中し家庭を顧みない結果が生んだのだった。
 娘は妻と一体化し、別れの日に彼を見る目は冷たかった。娘が母親を越える日が来たとき、彼女は父親である良をどのように評価するだろうか?

 別れの時88 通算1053
 家族のために働いたことが、家族に疎(うと)んじられ、最後には捨てられる結果となったのだ。。良には仕事と家族とのバランス感覚が欠如していたのであろうか?
 家族を失った良にとって、断ち切りたいしがらみは仕事だけと思われた。企業の歯車の一つとして働き続けた二十年間。
 一つの歯車が壊れると次の歯車が入れ込まれる。企業には何の影響もない。良にとってしがらみでも、企業にとって良は何のしがらみでもない。

 別れの時89 通算1054
 それに気付いた彼は愕然(がくぜん)とした。妻や子に捨てられたように、いずれは企業に捨てられる日が来る。彼の考えはネガティブな方向にばかり行くのであった。
 美津子、恵里、美紀の三人の女の間を彷徨いながらも、逆にすべてを失う予感さえあった。
 「俺の人生は、一体何なのだろう?」すべてを捨てたいと願う良であったが、すべてに捨てられるように思われてならなかった。 考えれば考えるほど深い闇に入り込んだ。

 別れの時90 通算1055
 「リョウ君、どうしたの?」待っても、風呂から出てこない良を案じて、美紀が中を覗き込んだ。目を閉じて涙を流している良をそこに見つけた。
 「どうしたの、リョウ君?どうしたの?」美紀はネグリジュを脱いだ。その下には何も付けていなかった。
 「何かあったの?」
 「何もない、心配しないで美紀…。」 彼女は何も問いたださなかった。湯船に浸かっている良の傍に入り、黙って良を抱きしめた。

 別れの時91 通算1056
 母に抱かれているような安堵を覚えた。ふと、法隆寺の弥勒菩薩が浮かんだ。その影は美紀とオーバーラップした。その背後に微かな影が見えたように感じたが、それが何かは分からなかった。
 「俺からみんな去っていきそうで…。」
 「リョウ君、泣かないで…。わたしはずっと傍(そば)にいてあげる。」美紀の包み込むような声に良は声を上げて泣いた。
 狭い風呂の中に、その泣き声は響いた。

 別れの時92 通算1057
 二十年前、美津子と別れたときに声を上げて泣いて以来、初めてのことであった。
 「わたしのかわいいリョウ君…。」美紀は我が子をそうするように、良の身体の隅々を洗った。良は黙ったまま美紀のなすがままにじっとしていた。良自身が自ら求めていたに関わらず、それは逆に周りからしがらみを切られるのではないか、という不安が離れなかった。
 「俺の半生はなんだったのだろう?」その闇は抜け道のない暗黒の世界のようであった。

 別れの時93 通算1058
 「リョウ君、お姫様抱っこできる?」美紀の明るい声に我に返った。首に手を回せて甘える美紀に、暗黒の世界にわずかな灯りを見つけた気持ちになれた。
 「わたし…リョウ君が来てくれる予感がしていたのよ…。」抱っこされた美紀は良に甘えた。意味のない自己の存在の軽さを癒してくれるように感じられた。
 「リョウ君。」
 「うん。」
 「リョウ君。」美紀は良の名前を呼んでは、彼女もまた良の存在を確かめるようでもあった。

 別れの時94 通算1059
 「リョウクン…。」ベッドに横になっても、美紀は彼の首に回した手を放さなかった。下から彼を見つめていた。その目には何でも受け入れるような広くて深い慈(いつく)しみに満ちていた。
彼は軽く唇を重ねた。舌をゆっくりと絡めると、美紀もゆったりと応えた。 彼はそっと彼女の胸に手を這わせた。
 それは性を求める動きではなかった。彼が全身にゆったり舌を這わ(は)せると、「アアン、リョウ君。」と悦びの声を上げるが、快楽を求めるそれではなかった。

 別れの時95 通算1060
 「痛くない?」良は横から彼女を貫いた。
 「ううん、大丈夫…。」 「ごめんな、美紀。君には迷惑をかけてばかりで…。」
 「いいの。リョウ君がわたしの前ではありのままを見せてくれるのが嬉しいの…。」繋(つな)がったまま、二人は話を続けた。美津子との逢瀬を重ねていることを知りながら、彼女は良を受け入れていた。
 「リョウ君、聞いてもいい?」「何?」
 「まだ、美津子さんのこと好き?」交わりながら良の気持ちを確かめた。

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 (0986〜) 恵理の葛藤
 (0996〜) レイクサイドホテル
 (1031〜) 美津子との距離
 (1046〜) 美紀のマンションで
 (1066〜) 恵理との小旅行
 (1083〜) 「日本料理 池田」
 (1094〜) 「恵理へのラブレター」
 (1111〜) 「恵理の初めての経験」
 (1176〜) 美津子の秘密「和風居酒屋 参萬両」
 (1196〜)  美紀への傾倒
 (1221〜)  最後のメール

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