連載小説 追憶の旅     「第4章  別れのとき」
                                 作:夢野 仲夫

「第4章  別れのとき」

    (本文) 「恵理へのラブレター」

 別れの時136 通算1101
 他の若い社員は定刻で退社してデートを楽しんでいるのに、君は愚痴一つこぼさなかった。
 その上、わたしのメモを読めるのも君だけだった。字の癖を知っているから読めるものではない。言葉を知っていなければ決して読めない。
 君が企業で使う言葉を必死に勉強していたことも知っている。誰にも分からないように、陰で人一倍努力していることを、わたしは誰よりも知っているつもりだ。

 別れの時137 通算1102
 また、わたしを慕ってくれながらも、決してそれを見せない君だった。常にわたしの立場を守ろうとしてくれていた。君はわたしの妻以上にわたしを気遣ってくれている。単に仕事のパートナーをはるかに超えた存在の君を感じている。
 美紀のマンションに泊まったあの夜のことも決して忘れない。自分を捨てて、わたしを守ることだけを常に考えてくれている恵理。いつかは去る日が来ることを知りながら…。

 別れの時138 通算1103
 リョウ君好き、リョウ君大好きとうわ言のように言いながら、身も心もわたしに捧げようとしていた恵理。
 そんな君にわたしは惹かれていった。許されない社会の掟(おきて)に背(そむ)いていることは分かっている。それが判断できない年齢ではない。
 しかし、この気持ちを押さえることができなくなっている。バカな、そして見境(みさかい)のつかない中年だと、自分で自分を責めながら…。

 別れの時139 通算1104  
 美津子と再会を果たして、あってはならない関係が生まれた。それを嫌悪(けんお)して、ハグすることを強く拒否した恵理。
 君にすれば当然だろう。君にとっては裏切りであり、不潔に感じたるのは、潔癖(けっぺき)な君からすれば当然だった。
 しかし、それでもすぐにわたしを許した恵理。裏切りへの強い反発と、不潔感との君の葛藤(かっとう)がいじらしく、さらにそれが君への傾斜(けいしゃ)を強めた。
 それはまた、自分自身を責めなければならないという自己矛盾の拡大ともなった。

 別れの時140 通算1105
 わたしはここに書いてはならないタブーを書く。ウソで塗り固められたラブレターは書きたくないから…。恵理の目にはどう映るだろうか?
 胸の奥に二十年間も抱き続けていた美津子と、現実の美津子との表現できないギャップを、いや、それ以上の不信感を抱きながらも、なお断ち切れぬ自分がいる。
 また、恵理とまったく違う美紀に惹かれている自分もいる。恵理への裏切りと知りながら、自分ではどうにもならない感情が渦巻いている。

 別れの時141 通算1106
 いつの日か、わたしはすべての人から捨てられるだろうとの強い恐怖を抱えながら、今を生きている。
 恵理もいつかは、わたしに愛想を尽かす日が必ずやってくる。その日は遠くないかもしれない。
 恵理は庭の片隅に咲いている一輪の可憐な花のようだ。目立たないが、じっと見ていると、その楚々(そそ)とした美しさに心を奪われ、最後にはその虜(とりこ)になってしまう。
 わたしもその虜(とりこ)の一人になってしまった。

 別れの時142 通算1107
 わたしは恵理に愛しているとは言いたくないし、決して言わない。言えば、その瞬間から恵理への愛が薄れてしまいそうに思えてならない。
 上っ面の、そして薄っぺらな言葉を並べたくない。恵理への気持ちは、もっと深くわたしの胸に刻まれている。
 別れても、いつの日か、わたしと同じ年頃になった恵理と会ってみたい。少しずつ成熟した女の色気が身について、匂うような魅力的な女性になっているだろう。
 そして、今より遥かに美しい君になっているに違いない。

 別れの時143 通算1108
 見果てぬ夢と知りながら、近くて遠い君の将来を思い浮かべては、微笑んだり、涙を流すこともある。
 自分の半生に疑問を感じ、すべてを断ち切りたいと願う自分がいる。しかし、逆に現在にしがみ付きたい自分も居る。自己矛盾を抱えながら生きるわたし。
 その分岐点で君に出会った。君との想い出の一つ一つが、おそらく忘れられない想い出になるだろう。美津子の幻影を追った二十年間と、まるで同じように…。

 別れの時144 通算1109
 長い人類の歴史の中で、ほんの少しだけ生まれた年が違っていたら君と出会えなかった。また、広い世界の中で、ほんの少しだけ生まれた場所が違っていたら君に出会えなかった。
 時間的にも空間的にも、君と出会えたのはまさに奇跡である 君との出会わせてくれた、この限りない偶然と奇跡に心から感謝している。
 何度も書き直したラブレター。人生で二度目のラブレター。君への思いが伝わっただろうか?                                    敬具                                                              
 切ないほど好きな恵理様                          柳原 良  

 追伸 もう、午前六時。少しでも睡眠をとっておかなければ…。

 別れの時145 通算1110
 途中から恵理は号泣していた。車の中で黙って運転する良。泣きじゃくる恵理。
 「泣かないで恵理…。」
 「だってぇ…リョウ君の手紙…リョウ君が泣かせるんだもの…。」
 「わたしの今の気持ちを書いただけ。」
 「…手書きのラブレターなんて…古いと思っていたけど…。」
 「俺はオジサンだから、古いのは仕方ない。」
 「そんな意味じゃない。リョウ君に出会えて…奇跡的に出会えて…。」泣きじゃくる恵理。

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       第4章 別れのとき(BN)
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