連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

     恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」

 美津子との再会131
  「あらっ、いらっしゃい。また来て頂けるのではないかと思っておりました。」
  「おでん 志乃」のママが嬉しそうに出迎えた。
  「笑い上戸(じょうご)を連れてきたよ。」
  「まぁ、とっても楽しいお酒が飲めるお嬢さんもご一緒で…。」
 恵理が自分だけ連れて行ってとせがんだ。良も気に入った店だった。ダシが黒く濃い味も食べないことはない。しかし、「志乃」のおでんは彼の口に合った。

  美津子との再会132
  「部長に無理にお願いしました。このお店、私好きです。」
  志乃と恵理は馬が合うようだった。明るくストレートな恵理と、物腰が柔らかく無駄なことを言わない志乃。お互いに惹(ひ)きつけ合うものがあるのだろう。
  「このお店は私と部長の隠れ家、ね、いいでしょ、部長?」
  良はは苦笑いするしかなかった。 小さい店ではあるが、貝柱、トコブシ、エビのツミレなどの魚介類もあった。

  美津子との再会133
 午後十時を過ぎた時刻には他に客はいない。会社帰りのサラリーマンが軽く一杯飲むのに使う店なのだろう。
  「ママさんも飲みませんか?」
 「じゃ、私も頂こうかしら?」 二人は顔を見合わせてビールで乾杯した。
  「部長はね、バカだから部下にたかられてばっかり。私もたかっているけど…。ハッ、ハッ、ハッ…可笑しい!会社の接待費で落とせるのに、部長はぜ〜んぶ自腹。だから、私たち部下は安心してたかれるの、ハッ、ハッ、ハッ…」

  美津子との再会134
 恵理といると明るさに救われる。良も志乃もいつしか彼女の笑いに引き込まれた。
  「部長、今日こそ私の胸に触りたい?こう見えて私ナイスバディなのよ。」
  「まだ、誰にも触らせたことがないのよ、部長。」
  「バカッ!大人をからかうんじゃない!」
  酔った勢いなのか本心なのか、盛んに良に挑んでくる恵理。 良は恵理を性の対象として見たことはない。最高の仕事のパートナーとしてしか見たことはなかったのだ。

 美津子との再会135
  「好きなのね、部長さんのこと。」
  「違います!部長はからかうと、少年のような困った顔をするのが面白くて。」
  「そう言えば、部長さんのさっきのお顔は少年のようでした。」
  「そうでしょ、ハッ、ハッ、ハッ…、ママもやってみませんか?」
 「私が、ですか?それは勘弁して下さい…ちょっとしてみたい気もしますが…」
  「二人で俺をバカにして…。ハッ、ハッ、ハッ…」

  美津子との再会136
  支払いを済ませて「志乃」を出ると、恵理はすっと腕をからませた。
 「楽しかったわ〜、ずっとこの時間が続けばいいのにぃ。」
  「遅くなったねぇ、お母さんが心配しているだろう?」
  「いいんです。今日は遅くなっても…。今日は美紀のアパートに泊めて貰うことになっていますから…」
 深夜の十二時頃にもなると人通りは少なくなった。

 美津子との再会137
  「実は最近お見合いをしました。親戚の叔父さんの顔をつぶせないので、仕方なく…」
 「ふ〜ん、そうか?で、どうだった?」
  「私はまだまだ結婚する気はありません。やっと仕事が楽しくなったときですから…」
  「でも、相手の方が私を気に入って、私の父も相手の方を気に入ったので、父は必死に結婚を勧めます。」
  「私、それがイヤでイヤで家に帰りたくないんです。」
 「お母さんは?」
 「母は私の味方です。一生の問題だから、恵理の好きなようにしなさいって…」

 美津子との再会138
  悩みなどない子と思っていたが、恵理も一生の問題で悩んでいた。「志乃」で見せた明るさの裏に、彼女の別の顔があったのか−生きることは悩むことかもしれない。
  「それに…」「それに?何、鈴木君?」
 「いえ、何でもありません。」
 「どうした?鈴木君?」
 「何でもありません…」消え入りそうな声であった。二人はいつしか薄暗い裏通りに来ていた。

 美津子との再会139
 彼女は泣いていた。何を泣く必要があるのだろう?良には理解できなかった。
 「わたし、仕事が、好きです…会社も、好きです…でも、でも…本当は…本当は…」
  止めどもなく彼女の目から涙が流れた。良は彼女をそっと抱きしめた。まるで、しがみつくかのように、恵理は彼を抱きしめ返した。
 「…本当は…」彼女の涙は止まらなかった。
  良はそっと彼女の涙に唇を近づけた。

 美津子との再会140
  美紀のアパートまで送ったあと、良は激しく後悔をしていた。彼女の涙に唇をそっと近づけただけであったが、自責の念にとらわれてならなかった。自分と親子ほども違う恵理。恵理は、いま何を思っているだろうか?
 若い恵理が中年の自分を好きになるとは夢にも思わなかった。彼女の気持ちに気付かなかった自分のバカさ加減にも落ち込んだ。
  「…でも…本当は…本当は…」恵理の消え入りそうな声が彼の耳に鮮明に残っていた。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良
 
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