連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

      再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」

 美津子との再会141
  良は寿司屋「瀬戸」のカウンターで、たった一人でビールを飲んでいた。「瀬戸」は高級店の部類に入り、他の寿司屋の二、三倍の値段はする。そのため、良が常連になったのも、ごく最近だった。
 この店のトロ、穴子、アワビは群を抜いていた。 口の中で文字通りトロけるトロ、柔らかくて、そっとつままなければ壊れそうな穴子、氷で身を締めたアワビは絶品であった。 寿司だけでなく、大将とも妙にウマが合ったのが常連になった理由だった。

 美津子との再会142
  「あら、奥様、今日はお一人?」
  「ええ、主人は出張で。」
 何気なく振り返ると、そこに美津子が立っていた。 二人の驚いた表情に、
 「お知り合いですか?」−女将(おかみ)が声をかけた。
  「大学時代から…」美津子は曖昧(あいまい)に答えた。
  「リョウにここで会うなんて驚いたわ。」
 「俺の方こそ驚いたよ。」 彼女は当然のように良の隣に座った。彼女のセンスのいい香水の香りが良に微(かす)かに匂った。

 美津子との再会143
  「良く来るのかい?」
  「ときどき…リョウ、あなたは?」 お互いの会話にもぎこちなさがあった。何を話したらいいのか、良には話題が見つからなかった。
  「今日はお一人?」という女将の言葉が良の心に引っかかっていた。二人の様子で何かを感じたのだろう、女将も大将も彼らには話しかけなかった。三流の店ほどプライバシーを根ほり葉ほり聞き出そうとする。まるでテレビレポーターのように…。 「瀬戸」では決してプライバシーには立ち入らなかった。

 美津子との再会144
  美津子はアルコールを口にしなかった。良と同じものを食べる美津子−二十年前と同じであった。
 透き通る白い肌、彼が求めて止まなかった唇、そして彼の頬を愛おしく包んだ細い指−あの頃の美津子とは違う、女として成熟し魅力を増した美津子がいる。
 赤いマグロをつまんだ美津子の白い指は、色のコントラストが映えて、まるで知的な女優の写真でも見るように美しかった。

 美津子との再会145
  シャリが邪魔にならない味付けになっていて、ネタとシャリの一体感がある。店によっては酸味が強かったり、甘味が強かったりするが、ネタの良さを生かした微妙なシャリの味付けであった。
  「リョウとこうしてずっと一緒に食べられたらいいのに…」−ポツリと彼女がつぶやいた。  良はそっと彼女の横顔を見た。幸せに暮らしているはずの美津子の心に、一体、何が渦巻いているのだろう?

 美津子との再会146
  支払いを済ませると、美津子は女将に、 「来てよかったわぁ、大学時代からの友達に会えて…、彼と久しぶりにお茶して帰ります。」
 女将(おかみ)は微笑んでいた。
  「ミツコ、どこへ行く?」
 「あなたが行きたい所ならどこでも…」出会った頃とまったく同じ会話であった。
 彼らは近くにあったホテルのラウンジに入った。ゆっくり話せそうな窓際のテーブルを選んだ。

 美津子との再会147
  「リョウは私に住所も電話番号も教えてくれないのね?連絡したくても出来なかった。」  「俺の方こそ思っていたことだ、ミツコ。」
 「リョウは忘れてしまったのね、私の性格?」 美津子は受身の子だった。自分から積極的に行動を起こす女性ではなかった。
  「でも、君には幸せな家庭があるから…。俺、できないよ。」
  「何でも強引なリョウなのに…。私、『まちかど』に電話して聞き出そうと思ったけど出来なかった。その勇気がなくて…」

 美津子との再会148
  「ミツコはシェフの料理を食べたかっただけだと、ずっと自分に言い聞かせていたんだ。」
  「リョウのバカ、女心がまだ分からないのね。」
  「だってミツコは幸せな生活を送っていると思っているから…」
  「幸せだわ、決して不幸ではないわ、でも…」
 「それならいいじゃないか。」
 「もう、いい。知らない!」彼はあの事件を思い出して笑った。
 「何がおかしいの?」
  「さっきのセリフ二十年前にもミツコに言われたことがある。」

 美津子との再会149
  「俺が君に初めてキスしようとしたとき…」美津子は思い出したのか、少しうつむいて微笑んだ。
  「二度と会ってもらえないと落ち込んでいた俺に、ミツコは一枚の短い葉書をくれた。覚えている?『あなたは今頃、眠っているかしら?』」
  「全部覚えている。私にとってリョウはかけがいのない人だったもの。」
  「その後のことも?」−美津子は黙ってうなずいた。

 美津子との再会150
  再びデートをしたあと、今までと同じように美津子を送った。薄暗くなって公園には人影もなかった。今までのように、良が美津子を抱きしめて離そうとすると、彼女は彼から離れようとしない。逆に力強く彼を抱きしめた。
 そして、やや上向きになって目を閉じていた。キスをせがんでいる様子だった。彼は恐る恐る唇を重ねた。彼女は彼に必死にしがみついた。二人にとって初めてのキスであった。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

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