連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫
 美津子との再会151
  「リョウ、この前はご免なさい。私、恐かったの…」彼女は目に涙をためていた。
  「リョウが求めることは何でもしたい。でも、恐くて、恐くて…」
  「ミツコ、好きだよ…」 二人はまた唇を重ねた。何度も、何度も…。慣れない二人のキスは時折歯と歯が当たった。
  「リョウ、好き、リョウ、大好き…」彼女は彼の腕の中でささやくのだった。

  美津子との再会152
  「夢のようだったわ。私もリョウも経験のない同士のキス。お互いにぎこちなくて…ふと思い出すことがあるの。あの日の想い出は私の、いいえ、私とリョウだけの秘密。」
  「リョウはステキだった、いいえ、いまもステキ。」 遥(はる)か遠い昔を思い出したのか、彼女の表情は柔和(にゅうわ)でうっとりしていた。
 そこには成熟した女のフェロモンが漂っていた。良はその色香に背筋がゾッとした。

 美津子との再会153
  I want to marry you. But I can’t. What shall I do? I love you. I love you.
  「わたしあなたと結婚したいわ。でも、できないのね。わたし、どうしたらいいの?大好き、大好き、あなたのこと。」
  「リョウに渡したメモ覚えている?あの時代に女から絶対に口にできない言葉よ。リョウにはお父様、お母様から私を奪って欲しかったのに…」美津子から直接聞く真実だった。
  「リョウも私の気持ちを知っていたくせに…。でも、リョウはそうしてくれなかった。私にはそれだけの魅力がなかったのかと、今までずっと思っていたの。」
 彼には返す言葉がなかった。良の目からは涙が流れた。

 美津子との再会154 
  「許してくれ、ミツコ。俺だって…」最後は言葉にならなかった。自分の弱さとコンプレックスのせいだとは、決して言えなかった。
  「ごめんなさい、リョウ。私そんなつもりでは…。リョウ、お願いだから泣かないで…」
  「……」
 「リョウとの思い出は多いわ。でも、みんな覚えている、リョウのするすべてが、私のすべてだった…」 良は涙が止まらなかった。

 美津子との再会155
 「大好きだったリョウ、今も好き、今も大好き!」口にしてはならないタブーを彼女は犯した。
  「わたし、主人を愛しているわ。とても優しいし、気を配ってくれる。ハンサムだし、地位も収入もある夫だと誰もが言って羨(うらや)ましがるわ。」
  堰(せき)を切ったように彼女は饒舌になった。
  「でも、でも、何か違うの。リョウとは何か違うの。」
  「何が違うかが私にも分からないの。」 彼女も涙声になっていた。

 美津子との再会156
  美津子との出会いは良の人生を変えただけでなく、美津子の人生まで変えていたのだ。彼と出会っていなければ、彼女は決して今の人生に疑問を持たなかっただろう。他人が羨(うらや)む人生に…。
 「ミツコは恵まれ過ぎているんだ。俺なんかハンサムでもないし、君のご主人に勝てるものは何もない。」
  「リョウまで同じことを言うの…、リョウまで…」

 美津子との再会157
  彼には美津子の心の中が理解できなかった。人が羨(うらや)む夫に、何が不満があるというのだろう?
  「たぶん、彼もリョウと同じくらい仕事ができるわ。でも、何かが違う…一途さ、そう、一途さが違うの。情も違うわ。リョウは情が深いわ。リョウみたいな人、ずっと会ったことがない。」
  「リョウには深すぎるほどの情がある。だから、リョウには一夜の浮気なんて絶対にできない。」
  「リョウは好きになると、その子にのめり込んでしまいそう…」 その通りなのだ。彼には一夜の浮気など不可能だった。
 そのとき恵理の顔が一瞬浮かんだ。 彼は慌てて打ち消した。

 美津子との再会158
 「主人はときどき浮気をしているかもしれない。でも、決して自分を失わない人。リョウのように自分を賭(か)けない。常に安心な人。」
  「ミツコ、もう止めよう。君の買いかぶりだ。俺には何もない。」
  「いいえ、リョウ…、私のリョウ…今でもリョウは私のもの…」 美津子は自分の言葉に自分で酔いしれているようだった。良は彼女の乱れた姿を初めて見た。
 「ミツコ、それは言ってはいけない。お互いにタブーなんだ。」

 美津子との再会159
  誰もが羨む幸せを得ながら、美津子はそれ以上のもの−いま、自分にない物を求めている。お金がない人はお金を、恋人がいない人は恋人を求めるように…。
 美津子は安心でしかも優しく、ハンサムで収入もある夫がいる。失うかもしれない不安が欲しいのであろうか?
  良には理解できない感覚だった。ない物を欲しがる−人間存在の業(ごう)であろうか?それとも女の業(ごう)であろうか?良にはそれは分からなかった。

 美津子との再会160
  「リョウ言わせて…私だって、感情はあるのよ。いつも抑えているだけ…。リョウの前では自分を出せる。夫の前では自分を出したことがないわ。」
  「私にはリョウしかいない。ずっと、ずっと思っていた。でも、会えなかった。会いたかったのよ、リョウ…」
 彼女の細く白いうなじをラウンジのライトが照らして、その細さと白さを浮き上がらせていた。彼がテクニックも知らず、ただ夢中で唇を這わせた細く白いうなじが鮮明に記憶に残っていた。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

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