連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」

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 良と美津子は「割烹旅館 水無川(みながわ)」にいた。先日、ホテルのラウンジでお茶を飲んだとき約束をしていたのだ。初めて見る美津子の和服姿に目を見張った。匂うような美しさと色香に溢れていた。
 手入れの行きとどいた「割烹 水無川(みながわ)」の庭の景色を背景にした彼女の和服姿は、這(は)い上がった良にはない世界の優雅さがあった。細く白いうなじが濃い緑の和服に映(は)えていた。街を歩けば誰でも振り向くだろう。

 美津子との再会182
  良は美津子に見とれていた。今まで出会ったどの女性より美しかった。
  「リョウ、どうしたの?」 彼は言葉が出なかった。 透き通る白い肌、黒い髪、それに濃い緑の和服が混然一体となって、彼女の上品で優雅な美しさを強調していた。
  「また自分の世界に入っていない?たったいま来たばかりなのに…」
  「ミツコ、キレイだ。こんなに和服が似合う女性に会ったことがない…」

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  「お世辞でもとても嬉しいわ。今日は精いっぱいおめかしをして来たのよ。リョウのために…」
 目の前にいる成熟した女性の美津子と、少女の香りを残していた二十年前の美津子が彼の中でオーバーラップした。 細い彼女の白い手には指輪がはめられていた。その指輪だけは妙に安物に思えた。
  「アッ!その指輪は!」
  「リョウ、覚えてくれていたの?あなたがくれた指輪よ。」

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  二十年前、結婚できないと知りながら二人で買ったお揃(そろ)いの指輪であった。
  「この指輪は私の宝物…どんな高価な指輪よりずっと、ずっと大切にしてきたの…」
  良は何も言えなかった。女には振り返る過去がないとずっと思ってきた。しかし、美津子は自分との想い出をずっと大切に抱いて生きてきたのだ。良はその指輪をとっくの昔に失くしてしまっていた。
  「これをいずれ娘にあげるの。『私が一番大切にしている指輪』と言って…」

 美津子との再会185
  会席料理を仲居さんが運んでくる。しかし、周りを寄せ付けない二人の雰囲気に、いつもは細かくする料理の説明もそうそうに切り上げていた。
 いい素材を使った上品な料理の味も分からず、良は目に涙をためていた。
  「リョウ、泣かないで…」
 弥勒菩薩(みろくぼさつ)が良の脳裏に浮かんでは消えた。良にとって美津子は変わらぬ弥勒菩薩であった。 何でも受け入れる慈(いつく)しみ、良を見つめる優しい瞳、そして物静けさ…。−弥勒菩薩(みろくぼさつ)そのものであった。

 美津子との再会186
  食事も終わりデザートとドリンクが運ばれた。コーヒーに口をつけながら彼は初めて口にした。
  「ミツコは俺の弥勒菩薩(みろくぼさつ)だった。今も俺の弥勒菩薩(みろくぼさつ)…」美津子は驚いた表情を見せた。
  「まぁ、そんな…。リョウは私をそんな風に見ていたの?思いもよらなかった。驚いたわ、本当に驚いたわ…でも、それはリョウの買いかぶり…」

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  「でも、わたしはあなたが考えるような女じゃない。嫉妬もするし、怒ることもあるし、泣き叫ぶことだってある。人をひどく憎むこともあるわ。リョウは本当の私を知らないだけ…」
 「誰だって感情はあるさ。喜怒哀楽は生きていることの証明じゃないか。ミツコはずっと俺にとって弥勒菩薩(みろくぼさつ)だった。」
 美津子は遠くを見つめた。はるか昔−二十年前を…

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  「だからだったのね。今分かったわ、わたし。強引なリョウが私に接するときだけは優しかった。不思議に思っていたの。キスを拒んだあのときも、リョウは…」 良は涙が止まらなかった。
  「泣かないで、お願い!バンカラのリョウは泣いてはいけない。リョウ、泣かないで!」 美津子が良の手に愛(いと)しむようにそっと重ねた。彼女の指輪が鈍く輝いていた。

 美津子との再会189
  「リョウには何でも上げたいと思っていたの。だから、あの日…」 それは良と美津子が初めて結ばれた日のことであった。その日美津子は彼のアパートに来ていた。薄暗く狭い彼のアパートで、二人は何度も何度も唇を重ねた。
 二人は舌を差し入れては遊んだ。キスしたまま、良がさりげなく美津子の胸に触れた。彼女はイヤイヤと首を二、三度振った。
 かまわず彼は触れることを止めなかった。目を閉じた彼女は彼に身体をあずけた。良が望むなら−美津子の決意が感じられた。

 美津子との再会190
  彼は夢中で胸をまさぐり唇を這わせた。「アアン」抑えた彼女の歓びの声がもれた。美津子の透き通るような白い肌が少しずつ、そして確実に露(あら)わになっていった。まるで白い大理石のビーナスであった。
  「キレイだよ、ミツコ…」それだけ言うのが精いっぱいだった。やがて彼女のすべてが露(あら)わになった。良は天にも昇るような気持ちになっていた。
  「見ないで、リョウ。お願い、見ないで…」

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

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