連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

   偶然の再会「イタリア料理まちかど」

美津子との再会11
 「あなたも少しも変わっていないわ。もっと老けていたらどうしよう、って、自分のことを棚に上げて心配していたの。」
いたずらそうに良を見つめて微笑んだ。その表情も二十年前とまったく同じであった。彼らはいつしか二十年前の自分たちに戻っていた。何十年か過ぎて同窓会を開いたとき、しばらく話していると、まるでその頃に舞い戻った感覚が生じることがある。それとまったく同じように…。

 美津子との再会12
  彼のパスタには魚介類がいっぱい入っていた。貝柱・エビ・イカ・アサリだけでなく彼の大好きな貝柱もたっぷり入っていた。シェフは心得たものであった。アルデンテの茹で方も見事であった。良の好みを知り尽くしたシェフゆえにできる料理である。味覚は個人個人が違っている。美味しい、不味いは単なる主観に過ぎない。絶対的な美味しさは存在しない。「お口に合いますか?」という日本語は言いえて妙である。良はイタリア料理「まちかど」の常連であることに喜びを感じた。

 美津子との再会13
「貝柱一ついいかしら?」
二十年前とまったく同じであった。美津子が良の貝柱を欲しがるのも…。良は黙って彼女の皿に貝柱を取り分けた。彼女はそれをさりげなく口に運んだ。成熟した女の唇の動きがその美味しさを物語っていた。二十年前とまったく同じように…。ほんの少しだけ違うのは、彼女の唇にほのかな色気を感じるだけであった。何度何度も触れたミツコの唇の甘い感触が、まるで昨日のことのように良の脳裏に 蘇(よみがえ)るのだった。

 美津子との再会14  
 シェフも奥さんも二人に話しかけなかった。美津子とは二十年ぶりでいろいろ話したいこともあるだろう。しかし、二人の関係を知っているので、仕事に熱中しているふりをしていた。二十年前、二人の結婚を望んでいたことも良は知っていた。おそらく美津子もうすうすは気づいてはいただろう。しかし、お互いにそのことにはわざと触れないでいた。

 美津子との再会15  
 「苔生ふる 路を歩みぬ 験なき 愛を悲しと 我が思ひつつ」
 「こけおうる みちをあゆみぬ しるしなき あいをかなしと わがおもいつつ」
良が当時詠んだ歌である。美津子と結婚したいと願いながらも、それができないことを嘆いた歌であった。何がそれを躊躇(ちゅうちょ)させるのか、彼は考えるたびに落ち込んだ。父母を「お父様」「お母様」と呼び、しかもお手伝いさんまでいる美津子の家と自分の家では、育つ環境が余りにも違い過ぎた。

 美津子との再会16
 何事も積極的な良であったが、美津子との結婚だけは腰が引けた。経済的な負い目が重く彼の心にのしかかっていた。彼女の両親に挨拶に行くことなど、彼には到底考えられなかった。目の中に入れても痛くないほど彼女をかわいがる父親のことを,想像するだけで、彼は表現できない恐さを覚えた。「男の面子」といえば古すぎるだろうか?しかし、今から考えると、それは彼女に対するコンプレックスに過ぎなかった。

 美津子との再会17
 「結婚している?」
結婚しているのは当然のことなのに尋ねた。
 「ええ、二十八歳のときに…」
彼と別れて六年目に美津子は結婚していた。
 「父の取引先の会社の人と…」
それだけで彼はすべてを悟った。おそらく彼女は取引先のエリート社員か、どこかの社長の御曹司と結婚しているに違いない。二十年前に彼が想像していた通りの結果を感じずにはいられなかった。

 美津子との再会18
 「りょう、あなたは?」
 これも当然の質問であった。
 「してるよ、もちろん…」  
 「だと思った。」
 彼女には安堵と一抹の寂しさの入り混じった表情があった。四十二歳の彼が結婚していないはずはない。しかし、ひょっとしたら自分のことを忘れられずに−そういう淡い期待があったのであろうか?美津子の白いうなじが、黒っぽいワンピースに映えていた。そこには若い女性にはない、しっとりとして落ち着いた大人の女の美しさがあった。

 美津子との再会19
 彼女とのさりげない会話で、彼女の夫は大企業のエリートであること、二人の子持ちであることが分かった。しかも、夫は優しく思いやりのあることも想像できた。自分と結婚しなかったことが彼女の幸せにつながったのを、良は思いしらされた。 「別れて幸せになる恋もある」−誰かに聞いた言葉に打ちのめされそうであった。

 美津子との再会20
「シェフのパスタが懐かしくって…。
でも、リョウに会えるなんて夢にも思わなかった。でも、でも…」 シェフに話しかけた。彼はすべてを理解し、黙ったままうなずいた。良は最後のコーヒーを飲みながらあの別れの日を思い出した。それは大学卒業直前で、その日はとても寒く、しかも、今にも雨が降りそうであった。別れを告げる喫茶店…。良の足取りは重かった。

次ページ(21〜30) 

        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

      トップページへ  追憶の旅トップへ

カウンタ