連載小説 
追憶の旅  「その1 美津子との再会」
                                   作:夢野 仲夫

 美津子と再会301
 「リョウ君、ママは心配。リョウ君は情が深くその上、危うさを持った子だから…みっちゃんもリョウ君と同じ。何もかも捨てられる子…だからママは怖いのよ。」
 「この前、彼女が一人で来たことがあったでしょう。あのとき、ご主人のことを盛んに褒(ほ) めるの。それは聞いていて褒(ほ)め過ぎだ、と思ったくらい。」
  「ふ 〜ん、そうだったんだ。」
  「『ハンサムで優しくて幸せ!』って強調するのよ。でも、強調するほどママは何か違和感を抱いたわ。」

  美津子と再会302
  「ママ、どういうこと?俺には分からない。全然分からない。先日会ったときも同じようだった。『何かが違う』としかミツコは言わなかった。」
  「ママも考えたわ、あれからずっと…。リョウ君には確か、女の業(ごう)と言ったわと思うけど。」 「ああ」
 「リョウ君、幸せな人がホントに幸せだ、と言うと思う?」 「エッ?」
 「そんな人は幸せ、不幸せなんて考えないでしょ。」
 「リョウ君、君は胃のことを考えたことある?胃が悪くなって初めて胃のことを考えると思うよ。」

 美津子と再会303
  長く水商売で生きてきたママ。そのママの指摘に良は驚いた。そう言われれば確かにそうだ。幸せ不幸せを考える時点で、そのことを考えさせる何かがあるのだ。
  「遅いから今日はお帰り、タクシー呼ぶ?」
 「いいよ、ママ。酔ってないから。」 立ち上がった瞬間軽くよろめいたが、何事もなかったように店をでた。
 
      美紀のマンションで目覚めた良
  美津子と再会304
  「部長、起きて下さい。」 耳元で優しい声がした。良が目を覚ますとベッドの枕元で美紀が彼を覗(のぞき)き込んでいた。今まで見たこともない美紀の優しい表情だった。キョトンとした良は周りを見回すと、見たこともない部屋だった。
  「ここはどこ?」「私のマンションです。」
 「この部屋は?」「私の寝室です。」 良は驚いた。
 「なぜ私かここに?」昨夜のことを思い出そうとしてもまったく思い出せないのだ。

 美津子と再会305
  「参萬両」を出てからの記憶がすべて飛んでいた。今まで「酒を飲んでいたので覚えてない。」というのはいい訳だと信じていた。しかし、まったく覚えていないのだ。
  「部長、ホントに何も覚えていないのですか?」−美紀の表情が曇った。
  「参萬両を出たところまでは覚えている。その後の記憶が全然ないんだ。どうして私は紺野君のマンションに泊まることになったのだろう?」

 美津子と再会306
  「わたし、偶然「参萬両」の近くを通ったの。すると部長によく似た男性が右にフラフラ左にフラフラ歩いていた。まさか、とは思ったけど近づいて確認したの。するとやはり部長だった。」
  「私を見つけた部長は『もう一軒飲みに行くぞ!』と言って聞かないの。飲めない部長なのに…」
  「『タクシーを呼びましょうか?』と何度言っても私の言うのを無視。ふと顔を見ると部長は泣いていました。」

 美津子と再会307
  「『私のマンションで飲みますか?』に、部長はやっと納得してくれました。」
  「紺野君、申し訳ない。君に大変な迷惑をかけてしまった。」
  「いいんです。でも…」「でも?」
 「でも…部長はずっと『ミツコ、ミツコ』と呼んでばかりでした。何があったのですか?」
  「夢を見ていたんだ。ずっと…ず 〜と、長い夢を見ていた…彼女の夢を…」
 「どんな夢?」

 美津子と再会308
  「『リョウ君、寝るときは服を脱がなきゃダメ!』幼いとき母からよく言い聞かせたように、夢の中で美津子に言われた。『ミツコ、手伝って…』美津子は黙って私の脱ぐのを手伝ってくれた。 ミツコはそのあと…」
  「そのあと、美津子さんはどうしたの?…」 母親が我が子に尋ねるような言い方であった。
  「いや、これ以上言いたくない。」
 「お願い!話して、お願い!」

 美津子と再会309
  「美津子は私の身体をタオルで拭(ふ)いてくれた。身体の隅々まで…。幼いとき母に拭(ふ)いてもらったのと同じ感覚だった。その後、美津子は添い寝をしてくれたんだ。」
 「私は夢中で美津子を抱きしめた。そして何度も何度もキスをした。彼女もそれに応えてくれた…」
  「リョウ君と言ったり、部長と言ったり、夢の中で美津子が私をときどき呼び間違えた。夢の中だから仕方がないけど…」
  「それから?」

 美津子と再会310
 「それから…私は美津子の胸に顔をうずめた。愛(いと)しくて、愛(いと)しくて…。そんな私を美津子はずっと抱きしめてくれた。」
「リョウ君、何でも上げる。あなたの欲しいものは何でも上げる。何をしてもいいのよ。」
 「リョウ君好き…リョウ君大好き!美津子が何度も何度も言うんだ…二十年前と同じように…」 良は話しながら涙を流していた。
  「それに…」
 「それに?」

美津子と再会311
  「『背中をかいて、』って頼んだ。『甘えん坊のリョウ君、私のリョウ君…』 彼女は私が背中をかいてもらうと安心するのを知っているんだ。」
  「私の背中をず 〜とかいてくれた。『二度とそんなに飲んではダメよ、リョウ君。』って言い聞かせながら…」
 「私は夢の中でずっと泣いていた。美津子の優しさに…。しかし…」
 「しかし?」
 「その優しさが何か違っていた。今までの美津子の優しさとは何か…」
 「どんな風に?」 美紀の良を見る目は優しさに満ちていた。

 美津子と再会312
  「今までの美津子が私にとっての最高の女性だった。でも、でも…夢の中の美津子はもっともっと私を包み込むような、自分自身のことなどすべて忘れ去ったような…。君には言ったことがないけど…弥勒菩薩(みろくぼさつ)のような…。君には笑われるだろうけど…。」
  「それまでの美津子の優しさよりずっとずっと広く深い感じだった。今までの美津子とはずいぶん違っていた。夢の中の美津子は…」
 美紀も大粒の涙を流した。美紀は我慢できないかのように彼を抱きしめた。

 美津子と再会313
  「部長、シャワーを浴びてから着替えて。」 美紀も出勤時刻が気になったのだろう。脱衣室には洗濯された良の下着があった。ワイシャツも綺麗にアイロンがかかっていた。この前と同じように…。彼女は寝てないのだろうか?
  「このネクタイ、気に入ってくれると嬉しいな。いつもご馳走して頂いているお礼に、恵里はハンカチ、私はネクタイのプレゼントすることにしていたの。」
  紺系統のシンプルなデザインだった。彼女は彼の好みを熟知(じゅくち)していた。

 美津子と再会314
  「私にネクタイを締めさせて。父にしてあげたことがあるからできるかも?」 彼女は嬉々(きき)として、プレゼントしたネクタイを良の首に回した。
 彼女との距離は縮み、彼女の甘い香りが漂(ただよ)い、ネクタイで悪戦苦闘するたびに、美紀の豊かな膨(ふく)らみが彼の身体に押し付けられた。
 甘い香りと豊かな膨(ふく)らみの感触に、つい手を伸ばして触れたい衝動(しょうどう)にかられてやまなかった。
  「これでいいかなぁ?」ネクタイを締め終わっても美紀は彼の傍(そば)から離れようとしない。

 美津子と再会315
  「紺野君、唇が少し腫(は)れてない?」良が人差し指で軽く触れた。
  「昨日の夕食に、スパイスのよく効いたカレーを食べたからかしら?」彼女は唇に触れた指を愛(いと)おしそうに軽く噛(か)んだ。
  「紺野君、ごめん、君のベッドのシーツも枕カバーも汚してしまった。昨夜、シャワーも浴びてなかったし、ずっと夢を見て泣いてばかりいたから…」
  「いいんです。気にしないで下さい。しばらくそのままにしておきます。」
  「なぜ?清潔好きの君が…」
 「いいの、そんなこと気にしなくていいの…リョウ君の匂い好きだから…」遠い記憶の何かにそれは重なった。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

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