連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

 美津子との再会31
  パチンコが初めての彼女は良の隣の席に座ったまま、どうしていいか困っていた。最初は彼の打つのをそこで見ていた。良がさりげなく美津子の台に玉を置くと、周りをキョロキョロ見渡した。そして、彼女はいたずらでもし始める、幼な子のような表情を浮かべて玉を弾いた。
 弾いた玉が入賞口に入るたびに、嬉しそうに、自慢げに、ニコニコ笑っては良を振り向いた。デジタルが二つ揃って三つ目が揃いそうになると美津子は熱くなり、外れると口をとがらせた。パチンコ店では三、四十分の短い時間であったが、彼女にとっては大冒険のようであった。

 美津子との再会32
  「今までパチンコ屋に入ったのはあのときだけ、たった一度だけ。」
  「本当?」
  「だって、私の周りにパチンコする人って、一人も居ないもの。」
 その一言は良の心の傷に突き刺さった。楽しかったあの日々の中でも、ずっと心の底に澱(よど)んでいたコンプレックスが頭をもたげた。
  「やはり、自分の住む世界とは違う」
 良はあらためて感じずにはいられなかった。

 美津子との再会33
 彼女の住む世界は上流階級のそれであった。良も今はそれなりに社会的な地位もお金もあった。しかし、生まれながらそういう世界で生きてきた立ち振る舞いと、這(は)い上がってきたそれには越えられない壁があった。それを最も感じるのも良であった。
  「『リョウは野性的でとても魅力的』って、お母様がおっしゃたことがあるの。一度だけ会ったことがあるでしょ。」

            家族の留守の夜
 美津子との再会34
 それは夏の日のことであった。彼女に誘われて彼女の自宅を訪問したことがある。当時の彼の感覚からすれば「まるで御殿」であった。安サラリーマンの家とは雲泥(うんでい)の差であった。応接室に通されてお茶を頂いたが、彼の家で飲むそれとはまったく違う飲み物に感じた。
 彼女の母親は優しげな眼差しであった。そのとき何を話したのか、話の内容だけでなく、母親が何を着ていたのかさえまったく覚えていない。美津子をそのまま大人にしたような、上品な母親のイメージだけが鮮明に残っている。

 美津子との再会35
  「『彼はもてるでしょ、私から見てもステキだから』ともおっしゃっていたわ。わたし、お母様にちょっとだけヤキモチ焼いたんだから…。」
 あの頃の良は何かを求めて燃えていた。求めているものが何か、その輪郭(りんかく)さえ分からなかった。決して特別にハンサムでもなく、どこにでもいる若者であった。しかし、彼は女友達の家に招かれるたびに、どこでも友達の母親にそのように言われていた。何もない自分に何があるというのだろうか?−彼自身さえ不思議であった。

 美津子との再会36
  「でも、みっちゃんの結婚相手には向かないわね。」
そうとも言ったという。その言葉も同じであった。女友達のどの母親も口を揃(そろ)えた。恋人としては面白いが結婚には向かない若者−それが良の当時の評価であった。しかし、美津子の母親の言葉には、他の母親とは違う何かを彼は感じた。
自分の娘は絶対にあの若者にはやらない−彼女の強い意思を感じ取ったのだ。あの優しげな眼差しの奥に…。

 美津子との再会37
  いま振り返ると、当時の彼の眼は何かを求めてギラギラしていたのだろう。何かをつかみたいという願望であったり、人生とは何かを必死に考える若者特有の探究心であったり、不正がはびこる社会への反逆だったかもしれない。それとも、単なる上昇志向であったかもしれなかった。
 優しさが社会の最大価値になりつつある時代に、時代錯誤の、まるで明治時代の書生のような感性が彼にはあった。

 美津子との再会38
  答えのない数学の問題を解くかのように、あの頃、彼は乱読と言えるほど小説を読み漁(あさ)った。一か月に二十冊以上は読んでいただろう。
 自分はどう生きたらいいのか−ただ、そればかりを追求していた。川端康成と伊藤整には特に魅かれた。川端康成の、今にも消えそうなほど透明な文章と、朴訥(ぼくとつ)に自分を表す伊藤整−一見、関連もない両者が、彼の中には両立していた。
 一方、彼はいつどこかへ行くかもしれない、何をしでかすか分からない危(あや)うさを持っていた。

 美津子との再会39
 「まちかど」で、最後の紅茶を飲む美津子の腕が、かすかに良に触れた。ふと、彼の目は美津子の手にいった。すると、そこには貧しい暮らしではあり得ない、白磁器のような手があった。女の生活は手に顕著に表れる。どんなに化粧をして胡麻化そうとも、生活は手に出てしまう。その手は彼女の優雅な生活が間違いないことを証明していた。
「ミツコが私の妻だったら?」
考えるだけでも許されない想いが胸中をよぎった。

 美津子との再会40
  「自分と結婚していても同じような手になっていたかもしれない」−良は思った。
大学卒業してから彼は他の人以上に努力を重ねて、人並みの生活を築いた。しかし、何かが違うのだ。それは微妙な違いではない。根本的な何かが違うような気がしてならなかった。
 「私の手って、何か変?」
  「…あの頃と…いや…それよりもっと綺麗になっているから…。」
 「リョウって口が上手くなったのね。あの頃一度もそんなこと言ってくれなかったわ。」

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

  
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