連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

 美津子との再会41
  「それに…愛してるって、一度も言ってくれなかったじゃないの!」
 美津子にしては珍しく軽い詰問調(きつもんちょう)であった。彼女はお譲さまらしく、決して声を荒立てたり強い感情を表したりしなかった。それは育ちによるものだけでなく、彼女の性格から来るものだったかもしれない。
 しかし、彼はずっと育ちから生まれるものと思い込んでいた。 彼女の立ち振る舞いはすべて彼女の育ちによるものとの思い込みがあったのだろう。

 美津子との再会42
  「ミツコだけでなく、俺は誰にも言ったことがない。愛していると言った瞬間、愛が嘘になりそうで…」
  「分かっているわ、リョウ。あなたの考え方を知っていたつもりよ。でも、あの頃、わたし、不安で、不安で…」
 ミツコの気持ち−女の気持ち−良はすべて分かっていた。だが、その言葉を口にした瞬間、愛は消えてしまいそうに感じていた。その思いは今も変わっていない。

美津子との再会43
 「リョウは古いタイプの日本人。まるで化石のような日本人。」
 美津子には珍しく、突き放すように言った。
 女は「愛している」と言われることを望む。男はそれに応えて「愛している」を連発する。それでいて、簡単にくっついたり離れたりを繰り返す。
 「愛している」と「こんにちは」は、限りなく同義語に近づいているのではないか−良にはそう思えてならなかった。
「私の周りの男性は、みんな女性に『愛している』と言っている。リョウは余りにも古すぎるのよ。」

 美津子との再会44
  そのことは美津子に指摘されるまでもなく、良も理解していた。しかし、美津子の口から出るとは思いもよらなかった。彼女は良に不満を持っていたのだ。
  「リョウ、誤解しないで、誰にでもすぐに『愛している』という軽い男性って大嫌い!そんな人に限ってすぐに離れて行きそうだもの。」
 良を見る美津子の目には温かみがあった。
  「でも…リョウだけは別。リョウにだけは…リョウにだけは…言って欲しかったのに…」

 美津子との再会45
 鼻筋の通った端正な彼女の顔をあらためて見た。彼女は少女の頃と比べて、一段と女の魅力増していた。それは生きていく中で、人生の経験を積んでこそ得られるものであろう。
  「君のご主人も言うのかい?」
 思わず口から出た。出してはならない禁句であった。
  「… そうよ、毎日、『愛している』って言ってくれるわ!」
 彼女は禁句を口にした良に反発したのか、わざと投げやりに答えた。

 美津子との再会46
  透き通る美津子の白い裸身に「愛している」とささやきながら、夫の手が彼女の身体の隅々までまさぐり、抑えながらも歓びの声を漏(も)らす美津子−ふと彼女の夫婦生活を思い浮かべ、会ったこともない彼女の夫に強いジェラシーを覚えた。しかし、すぐに彼は必死にそれを打ち消した。
  「リョウ!リョウ、聞いている?リョウは昔からそうだった。私の目に前にいながら、一瞬、私の前からいなくなると感じさせる。どう言ったらいいか分かんないけど、いつも私に不安を与えてばかりだった。」

        初めての衝撃的な出会い

 美津子との再会47
  「今もそう、リョウは自分の世界に入っているわ。」
  彼には返す言葉がなかった。ただ、いま思い浮かべたことを話せるはずもなかった。
  「ミツコとの最初の出会いを思い出してね」。
  彼はさりげなく話題をそらせた。彼女はあのときの出会いを鮮明に思い出したのだろう。
  「リョウに初めて会ったとき、何て厚かましい人、と思った。由美もあの時のリョウの態度にはとても驚いていたわ。」

 美津子との再会48
 大学の友人である由美と「まちかど」で食事の約束をしたとき、彼女が連れてきたのが美津子だった。それは彼にとって衝撃(しょうげき)であった。なぜなら、彼がずっと追い求めていた理想の女性だったからである。
  「あんな真剣なリョウ君を見たのは初めて…」−後に由美が彼女に語った。まさに彼の一目ぼれであった。
 自分が何年も捜し求めていた女性が目の前にいる−良は舞い上がっていた。

 美津子との再会49
  それまで彼には女友達は何人もいたが、恋人はいなかった。高校時代の失恋が尾を引いていた。美津子に異常な興味を示すリョウに、
  「ミツコを絶対に好きにはダメよ、リョウ。彼女はお嬢様だからね。何も知らない美津子を傷つけないでよ」 由美は強く忠告した。
  「ミツコ、リョウ君と絶対付き合ってはダメ!リョウ君は何をやらかすか分からない子なんだから!」
 しかし、彼にはまったく無駄であった。美津子の持つ独特の雰囲気は彼を虜(とりこ)にした。

 美津子との再会50
  彼にとっての理想の女性は「法隆寺の弥勒菩薩(みろくぼさつ)」だった。
 どんな人間でも受け入れる慈悲深さ、常に上品な笑みをたたえている優しさ、憎しみ・嫌悪などの感情から正反対にある物静かさ−そんな女性はこの世の中には絶対に存在しないと理解しながらも、心の隅では常にそういう女性を求めていた。
 友人は彼をバカにした。
「リョウはロマンチストじゃない。理想主義者でもない。救いようのない夢想主義者だ。」

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良
    
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