連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

 美津子との再会51
彼は美津子に弥勒菩薩(みろくぼさつ)を見た。まるで不思議な感覚だった。彼女には何を言っても、何をしても許されるのではないか−彼はその日から、彼女抜きの生活は考えられなかった。
 毎日のように彼は彼女を誘い出した。何をするというのではなく、どんな時でも美津子といるだけで幸せな気持ちになることができた。
「今日はどこに行く?」
「あなたが行きたいところなら何処でもいい」 いつも、同じような会話から始まった。

 美津子との再会52
  美津子は決して自分から希望を言わなかった。口元に弥勒菩薩(みろくぼさつ)のような微笑をたたえながら、常に彼の行くところに付いて来た。 しかし、それが彼女の本当に望んでいることかどうかは、彼には分からなかった。ふと、不安がよぎることもあった。
「ミツコは本当に楽しいのだろうか?自分を愛しているのだろうか?」
  ある日の出来事が彼を打ちのめした。

         キスを拒む美津子
 美津子との再会53
 その日も二人は会った。そして、いつものように彼女を送った。冬は日が短く、夕方には辺りは薄暗くなっていた。途中にある小さな公園には、秋には聞こえていた元気な子どもたちの声も消え、静寂が包んでいた。
 お互いのジャンバーに手を入れ合い、寄り添って歩いていた。 
  「ミツコ…」 彼は彼女に正面を向かせてぐっと抱きしめた。美津子もそれに応えて彼の背に手を回した。いつもの別れの前の二人の儀式だった。

 美津子との再会54
 突然、彼は美津子にキスしようとした。不意を突かれた彼女は必死で抵抗した。
  「イヤッ!イヤッ!絶対イヤッ!こんなことするリョウは嫌い!だ 〜い嫌い!」
 初めて見る美津子の強い感情だった。キスするのを諦(あきら)めた良が、その後、何を話しかけても彼女はまともに答えなかった。
「知らない!」としか言わなかった。

 美津子との再会55
 「二度と会ってくれないかもしれない?」
  彼女を送った後、彼は自己嫌悪に陥った。
 「なぜ、あんなことをしたんだろう?彼女が求めているのはプラトニックラブなのに!」 良を無視し続けた美津子−軽はずみな行為によって、彼女は良に幻滅(げんめつ)しているに違いなかった。
  「ミツコ、ごめん!ミツコ、ごめん!」
 誰もいない部屋で何度もつぶやいた。机の上にある美津子の写真は、昨日までとまったく同じように、彼にとって唯一無二の弥勒菩薩(みろくぼさつ)に見えた。

 美津子との再会56
 美津子に会いたいと願っても、良にはその勇気が出なかった。一人で悶々(もんもん)とした日々を過ごした。美津子の存在がどれ程大きいか、思い知らされた。
 当時は携帯電話のなかった時代である。メールでほとんど連絡できる、今の時代とは様相が異なっていた。電話を掛けるにも、彼女の母親を通さなければならなかった。
 彼女の家の前で待つこともできただろう。しかし、それを実行するには気が引けた。由美を間に立ってもらうことも無理だった。二人が付き合うことに、一番反対したのが彼女だったから…。

 美津子との再会57
  彼女を毎日送ったあの小さな公園に良はいた。夜の帳(とばり)が下りつつあった。周りには誰もいない。冷え冷えとしたベンチに彼は腰掛けた。忘れようとすればするほど、美津子が思い出された。
 わずかな風が吹くと、彼の前にある落ち葉がかすかな音を立てて動き、彼の目から少しずつ去っていった。しかし、また、次の落ち葉が目の前に現れて、同じように彼から去っていった。

 美津子との再会58
「忍び寄る  別れの気配   ひそやかに 吹かるる落ち葉に 美津子を思ふ」
 「しのびよる わかれのけはい ひそやかに ふかるるおちばに みつこをおもう」
「ミツコが…俺から、ミツコが…」
  彼の目からは大粒の涙が流れた。誰にも相談できることではなかった。自分一人で耐えるしか方法はない。美津子のいない生活を送るのを受け入れざるを得ない状況になりつつあった。
 ふと夜空を見上げると、星が一つ、また一つ輝き始めていた。

 美津子との再会59
 彼に一通の葉書が届いた。思いもよらぬ美津子からであった。
「あなたは 今頃、眠っているかしら?  美津子」
 たった一行の葉書であった。だが、たった一行の葉書に、彼女の万感の想いが込められていた。さりげない一文に中に込められた、彼への慈(いつく)しみと優しさ、そして物静かさを、良はしみじみと感じた。

 美津子との再会60
  「あの頃、『リョウと付き合っては絶対ダメ!』、と何度も由美から言われていたのよ。
『彼は危ない!彼は将来どうなるかもわからない』とも言われたわ。」
 「アイツ!そんなことまで言ってたのか!」
 厳しい口調ながら、目は笑っていた。
 「でも、リョウにはそんなところがあったから、仕方ないでしょ。本当のことだから。」
  小説を読み漁る一方で、パチンコ、マージャンにのめり込む。さらには、夜のバーでアルバイトをする。そんな良に、お嬢様の美津子を会わせたことを、由美は責任を感じていたのだ。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

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