連載小説 追憶の旅  「第3章  良の苦悩」
                                 作:夢野 仲夫

 良の苦悩1 通算631
  その日以来、彼はしばらくの間二人とは食事にも行かなかった。二人の友情を壊してはならないと危惧するだけでなく、彼は家庭内での問題を抱えていた。
 「部長、お願いです。志乃に連れて行って下さい。」 残業していた恵理が何かを考え込んでいる良に話しかけた。
 「君には無理ばかりさせているからなぁ。そのお礼に行くか。」 新たなプロジェクトチームの手伝いでいつも恵理は残業を強(し)いられていた。

 良の苦悩2 通算632
 他の社員に手伝わせるよう言ったが彼女は決して譲らなかった。
 「部長のお考えが微妙なところでズレるので、余分な時間がかかります。それに部長の手書きのメモは他の人には読めません。うふ。」
 確かに恵理の指摘する通りだった。彼の意図(いと)する提案の微妙なところをくみ取れる社員は彼女しかいなかった。
 その上、彼のメモは自分でも読めないほどの乱雑さだった。しかし、集中して書いたメモにこそ彼の考え方の真骨頂があった。

 良の苦悩3 通算633  
 「おでん 志乃」の近くの裏通りに入ると、恵理は腕を組んできた。
 「部長とデートの気分…。二人きりってずいぶん無かったわ、ネ、リョウ君。」 腕を組みながら横から良を見上げた。
 少女のような幼さと成熟しようとしている女の入り混じった表情があった。彼は軽い戸惑いを覚えた。
  「ママさんに会えるのも嬉しいな。わたし、あのママさん大好き。おでんも美味しいし…。」 
  「今日も酔っ払って、部長を困らせちゃおうかな?」

 良の苦悩4 通算634
 「お久ぶり。」 二人を見たママは嬉しそうだった。
 「部長に頼んだの、わたしママさんに会いたくて…。」
 「嬉しいことを言って下さるお嬢さんだこと。」 恵理を見るママの目はまるで自分の娘を見るそれであった。
 「ママさん、恵理と呼んで下さい。」
  「ママさんにはいろいろ教えて頂きたいことがあるんです。」
 「わたしの分かることならなんでも。」 
 「ホント?嬉しい!」

 良の苦悩5 通算635  
 限りなく水に近い薄味の上品なおでんを食べながら、二人はビールを飲んだ。
 「君の年齢でビールを飲む子は少ないだろう?最近はカクテルっぽいお酒を飲む子が多くなったからねぇ。」
 「わたしもビールは苦く感じました。でも、会社の上の方は皆さんビールですから…。それに部長はビールだけなので…。」
 彼女は良の好みに合わせていたのだ。
 「好きな物を飲んでいいよ。こんなおじさんに合わせることないから。」

 良の苦悩6 通算636
 「いいえ、ビールを飲みます。大人の味がします。ねぇ、ママ。」
 「大人の味ねぇ、考えたこともなかったわ。そう言われると思い当たる節もあるような…。」
 「若い頃、ママはかなり年上の人と付き合ったな?」
 「イケズねぇ、部長さん。女にそういうこと言うもんじゃないわ。ねぇ、恵理ちゃん」
 「ママさんはかなり年上の人と付き合ったことあるの?」
 「アレレ?わたしの味方じゃないの?」

 良の苦悩7 通算637
 「ママさん、子ども扱(あつか)いされなかった?」
 「ずっと昔の話だから…。」 ママは曖昧(あいまい)に答えた。
 「ママさん、ママさんのような色気はどうしたら出るの?教えて下さい。」 アルコールも少し回って来たのだろう。最も気になることを口にした。
 美紀のマンションに泊った夜、良が美紀に言った「色気がある」が心に引っかかっていたのだ。
 「あなたの年で色気が欲しいの?今のままの方がずっと魅力的だと思うけど…。ねぇ、部長さん。」

 良の苦悩8 通算638
 「わたしも同感だ。」
 「ホント?ウソでしょ。絶対ウソよ。男性は色気のある女性が好きよ。」 恵理は納得しなかった。
  「わたし、色気のある女になりたいの。」 良のさりげない一言がずっと彼女を苦しめていたのだ。
 「恵理ちゃんはステキよ。わたしなんかずっと昔に失ったものを持っているわ。羨(うらや)ましいと思っているのよ。」
 「とても魅力的な子だと思うがなぁ、鈴木君は…。」
 「ウソよ!絶対騙(だまさ)されない、わたし…。」

 良の苦悩9 通算639  
 そこには思いつめた恵理がいた。ママはすべてを分かっているようであった。
 「恵理ちゃん、好きなのね、その人のこと…。」 彼女は名指しを避けた。黙って頷(うなず)く恵理の目から涙が流れた。
 「ママに話してみる?気が楽になるわよ。それとも言いにくい…。」
 「わたしの好きな人は…色気のある人が好きなの…。」 恵理も良の名指しを避けた。
 彼の会社での立場を考えてのようだった。

 良の苦悩10 通算640
 「わたしには色気がないから…。それに…その人をわたしと同じように好きな人がいるの…。その人は…とってもキレイで…色気のある子なの。」
 「ライバルがいるのね…。」 良は二人の会話を黙って聞くしかなかった。
 「彼はあなたのことどう思っているの?」 良を見ながらママは聞いた。
 「分からない…。わたしにはわからない…。何も分からない…。不安だけなの…。」

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       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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