連載小説 追憶の旅  「第3章  良の苦悩」
                                 作:夢野 仲夫

良の苦悩51 通算681
 「リョウ君とわたしの赤ちゃんだったら、きっとかわいくて頭のいい赤ちゃんよ。かわいい子を産んでほしくない?」
 「さぁ、リョウ君、かわいい赤ちゃんを作ろ。その前にシャワーを浴びない?うふ。」 美紀と話していると、どこまでが本気で、どこまでが冗談かが分からなくなる。
 まさに良を翻弄(ほんろう)し続ける美紀であった。 しかし、恵理とは違って心の負担を感じさせなかった。そこに生真面目な恵理との差を感じた。

 良の苦悩52 通算682  
 「リョウ君、お家に帰りたいのでしょ。奥さんがリョウ君を待っているのね。だったら帰してあげる。」
 「待ってなんかないよ!」
 「エッ、何かあるの?」「…。」
 「言いたくないのね。言わなくていいよ。レロレロしたら帰してあげる。」
 「美紀…。」「はい。」
 「美紀…。」「はい。」 二人の間に仄(ほの)かな気持ちの流れが漂った。
 「美紀…。」「はい。」  美紀は良に胸を押しつけた。均整の取れた美紀の裸身が思い浮かんだ。

 良の苦悩53 通算683  
 「美紀。」「はい。」
 「俺はときどき、あの日の君を思い出すよ。」
 「いつの日のこと?」
 「わたしに生まれたままの君の姿を見せてくれた日のこと…。まるで大理石の像のように美しかった。今でも俺の脳裏(のうり)に焼き付いている。」
 「恥ずかしいこと言わないで…。でも…リョウ君が望むなら…いつでも…。」
 美紀は二人の感情の流れに浸っていた。
 二人だけの秘密…それは良にとっても忘れられない秘密になっていた。

 良の苦悩54 通算684
 「リョウ君、少し離れて…。向こうを向いていてね…」  美紀は大胆にも衣服を脱ぎ始めた。衣擦れの音が微かに聞こえた。
 「リョウ君、こちらを見て…。」  そこには身に付けた物をすべて取り去った一糸まとわぬ美紀がいた。
 意識的であろうか、彼女はミロのビーナスに近いポーズを取っていた。その幻想的な美しさに良は茫然とした。
 「美紀、キレイだ。まるで芸術の世界としか思えない。」

 良の苦悩55 通算685
 「ホント?」
 「ウソじゃない!自分が見ているのが夢か現かの区別さえつかなくなる。」
 「リョウ君!夢じゃないのよ。」 美紀が良の胸に飛び込んだ。
 良は我を忘れそうになった。彼女の手が彼の手を自分の豊かな胸に導いた。
 彼がそっと触れると、「アン」甘いため息を漏らした。
 「リョウ君、好き。リョウ君好き…」と何度も繰り返した。

 良の苦悩56 通算686
 美津子から「会いたい」と連絡があった。早々に仕事を片付けて、良は車で彼女を迎えに行った。
 「会いたかったの、リョウ。急に呼び出してごめんなさい。とても我慢ができなかったの。」
 「割烹 水無川」のときと同じ和服姿であった。
 良のネクタイを確認すると「リョウとお揃いになっちゃった、うふ。」 車に乗ると手を良の太腿に載せた。
 その後はなぜか深刻な顔をして、良をチラチラ見ても話しかけなかった。

 良の苦悩57 通算687
 「何かあったのかい?」
 「…後で話すわ…。それより楽しい話をして…。」
 「…君と山に行ったことがあった。覚えてる?」
 「リョウは相変わらずエッチねぇ、わたし覚えてないもん。」
 「あんな大胆な子だとは夢にも思わなかったよ。俺も大胆だったけど…。」
 「…覚えてない…わたし、ぜ〜んぶ忘れちゃった…。」
 「思い出させようかなぁ?」
 「リョウは意地悪ねぇ。」 美津子の表情が明るくなっていた。

 良の苦悩58 通算688
 その日二人は小さな山に登った。平日の昼間のために周りには誰もいなかった。木々に囲まれた二人は自然の癒(いや)しに浸った。
 下を眺めると街並みが遠くまで見渡せた。
 「あの街の中で俺たちも生活しているんだなぁ。ちっぽけな幸せを求めて。」
 「わたしたちのように、愛し合って生きている人もいるわ。それが幸せじゃない?」   「う〜ん。いま、まさに別れる瞬間の人がいるかもしれない…。」
 「リョウは寂しいことを言うのね。」

 良の苦悩59 通算689
 二人の間には「別れ」が常に無意識のうちにあった。
 「リョウ見て、あの二本の木。」 今にも倒れそうな二本の松の木が寄り沿うかのように立っていた。
 「倒れてしまうときは一緒じゃない。わたしたちもあんな風になれたら…。リョウがお爺ちゃん、わたしがお婆ちゃんになっても…。」
 「ミツコ…そんな日は決して…。」
 「言わないでリョウ、それ以上言わないで…。」

 良の苦悩60 通算690
 二人は二本の木をずっと眺めた。彼はジャンバーを脱いで、美津子を座らせた。 座っていてもそこから街並みは一望できた。
 「リョウ」 「うん」
 「朝、リョウをわたしが起こすの。『会社遅れるわ』って。」
 「眠そうなリョウがやっと目を覚ますの。『ミツコ、俺、まだ眠い』」
 「だから、わたし、…だから、わたし…。」  美津子の願う甘い新婚生活は、決して二人には来ないことは分かっていた。

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       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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