連載小説 追憶の旅  「第3章  良の苦悩」
                                 作:夢野 仲夫

 良の苦悩81 通算711
 「お腹一杯になっちゃった。リョウが勧めるから食べ過ぎたわ。」 帰りの車の中で盛んにお腹をさすっていた。
 「リョウ、わたしアメリカへ行きたくない。リョウの傍(そば)にずっと居たい。リョウに会わなければ良かった…。二十年前に…リョウに会わなければこんな苦しい思いをしなくてすんだのに…。」
 「ミツコ、アメリカに行くな!と言って、お願い。それだけでわたしは決心できるの。」

 良の苦悩82 通算712
 良は答えられなかった。良の周りで色恋沙汰(いろこいざた)どころではない、何か人生を一変させる大きな出来事が起こりそうな気がしてならなかった。
 彼自身それが何か想像もつかなかった。
 「ミツコ、俺の周りで何かが起こる気がしてならないんだ。」
 「それって何?」
 「分からない。俺にも分からない。見当さえつかない。」
 「…リョウは…わたしと…わたしと…別れてもいいのね…。」

 良の苦悩83 通算713
 「君にはアメリカに行って欲しくない。行ってしまえば、本当の別れが来てしまう…。」
 「俺の…俺の…弥勒菩薩を失ってしまう…。」
 「リョウ!」 彼は安全な路肩に車を止めた。彼らは互いにむさぼるように唇を求めた。 二十年前の美津子とは明らかに違っていた。
 「リョウ、わたし苦しいわ。少し横になりたいわ。リョウ、横になれるところないの?」  苦しそうな表情を浮かべる美津子。
 「ずっと悩んでいて睡眠不足のせいだわ。きっと、そうよ…。」

 良の苦悩84 通算714
 さかんに良に訴える美津子。彼は仕方なく、道路沿いにあったラブホテルの駐車場に入った。
 どのようにしていいのか戸惑う良に、 彼女は「こうすればいいじゃない?」と半ば手慣れた態度であった。
 部屋に入ると、二人の間には二十年前と同じような欲望が激しく襲った。二人はむさぼるように長いキスを交わした。
 しかし、二十年前とは明らかに違ったリズムがあった。夫がいて成熟した女の美津子と、妻もいて性を知った良ゆえの違いだけでは説明不能な何かを良は感じた。

 良の苦悩85 通算715
 「シャワー浴びさせて…。リョウこちらを見ないでね。わたし、太ったから恥ずかしいわ。」  
 彼は言われた通りに美津子に背中を向けていた。和服を脱ぐ美津子の衣擦(きぬずれ)れの音が静かな部屋に微(かす)かに響いた。
 浴室に向かった美津子に、良はある疑念が頭をもたげた。 部屋に置かれている冷蔵庫からコーヒーを取りだして、小さなテーブルに置いた。
 必死に打ち消そうとすればするほど湧き出る疑惑であった。

 良の苦悩86 通算716  
 良には甘過ぎるコーヒーを飲んだ。その甘さは良自身の心の甘さかもしれなかった。
 「シャワーを浴びたら?リョウ。」 甘え声がした。二十年前と同じような少女の響きがあった。
 イスに座り何かを深刻に考えている良に、美津子は驚いていた。
 「リョウ、どうしたの?やっと二人きりになれたのよ。誰もわたしたちを邪魔する人はいないのよ。」 見上げると、そこにはバスタオルに包まれた成熟した女の美津子がいた。

 良の苦悩87 通算717  
 透き通るような白い肢体(したい)の美津子がいる。この二十年求めて止まなかった美津子がいる。手を伸ばせば、大理石の像のように美しい美津子が自分の物になる。
 その一方で、ある疑念がそれを抑えさせていた。
 「リョウ、疲れているのね。わたしが脱がせてあげる。立って…。」  言われるままに良は立ち上がった。
 美津子はいそいそと彼の身につけている物を脱がせた。愛しむような、それでいて強い情念の入り混じったものを良は感じた。

 良の苦悩88 通算718
 最後の一枚を脱がせると、美津子はそっと彼の物を手でくるんだ。
 良は半ば茫然(ぼうぜん)としていた。自分がどうしたらいいか分からなくなっていた。何かを考えている良に、彼女はやっと気付いたようだった。
 「どうしたの?リョウ。わたし、何かいけないことした?」
 「…。」
 「言って、お願い!リョウ、お願い!」「…。」
 「…美津子は…美津子は…こういうところに…よく来るのか?」
 「なぜそんなこと言うの?なぜなの?」

 良の苦悩89 通算719
 「だって…入る時も手慣れていたから…。」
 「バカ!リョウのバカ、バカ!来ないわよ!入口に書いてあるのを見れば誰でも分かるでしょ。そんなことを気にしていたの。頭のいいリョウなのに、読んでも分からないのが不思議…。」
 美津子の言い分を理解した半面、どこかに言いくるめられているのではないかとの疑惑は消えなかった。
 「わたしが洗ってあげる。リョウの身体を洗ってあげたこと今まで一度もないでしょ。」

 良の苦悩90 通算720  
 美津子は彼を後ろから抱き締めて風呂場まで連れて行った。湯船にはすでに湯が貯められていた。
 「胸は相変わらず小さいから恥ずかしいの。」 手で胸を隠していた。二十年前とは違って成熟した女の肢体(したい)がそこにあった。
 彼が何度か愛(いと)しく求めた美津子の裸身が目の前にあった。
 少女の香りを残していた二十年前と違ってややふくよかな彼女の裸身に、強い欲望を感じたのだった。

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       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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