連載小説 追憶の旅  「第3章  良の苦悩
                                 作:夢野 仲夫


    
美紀の弟・正一郎との出会い 「イタリア料理・ローマ」
 
 良の苦悩141 通算771
 「部長さん、初めまして。」
 良は美紀の弟の正一郎(しょういちろう)と初めて逢って驚いた。
 目鼻立ちがはっきりして、美紀を少年にしたような少年だった。上品な立ち振る舞いは、金持ちの子息であることが一目で感じられた。それにいかにも聡明さを持ち合わせた子だった。
 ただ、金持ちの子ども特有のひ弱さがあった。 高校受験の数学で悩んでいるので、一度アドバイスをして欲しいと美紀に頼まれていた。

 良の苦悩142 通算772
 学生時代に家庭教師を何軒もしていたことを、美紀に話したことがあったのだ。
 「数学が苦手で…。」恥ずかしそうに頭を?いていた。
 「お姉ちゃんに教えて貰っているんだろう?」 今度は美紀がうなだれた。
 「わたしは文系だから数学はちょっと…。弟が苦手なのも遺伝かもしれません。高校では数学で泣きました。」 彼らはイタリア料理「ローマ」に来ていた。

 良の苦悩143 通算773
 「姉ちゃんママ、このピザ凄いね。生地がパリパリして…。」「ショウちゃん!」
 「分かっているよ。姉ちゃん。」 二人の間で何か約束事があったようだった。
 「人前で『姉ちゃんママ』と言わない約束をしているのよ。わたし、若いのにおばさんみたいに聞こえるでしょ。」 良は大笑いした。
 「いいじゃないか、姉ちゃんママ。」
 「部長!からかうのは止めて下さい!」 美紀は恥ずかしそうに抗議した。

 良の苦悩144 通算774
 「姉ちゃんマ…、姉ちゃんはいつもこんな美味しい物をご馳走して貰っているんだ、部長さんに。いいなぁ。」
 「バカねぇ、いつもじゃないわよ。ときどきね…。部長はいつも男子社員ばっかり連れて行って、女性には冷たいのよ。」「姉ちゃん!」
 「いいの、こんな時に言っておかなければ…ねぇ、部長さん。」 良をからかっていた。正一郎は申し訳なさそうに良を見た。
 「口が悪くて済みません。」彼が代わりに謝った。

 良の苦悩145 通算775
 良と美紀は顔を見合わせて笑った。弟もそれにつられて笑っていた。笑うと人懐っこい子ども子どもした表情が印象的だった。
 「姉ちゃんの分も食べていい?」 食欲旺盛な彼の食べっぷりに感心した。
 「追加注文しようか?」
 「本当にいいんですか?」 美紀の顔色をうかがった。
 「遠慮するなよ、どんどん食べて。お腹一杯になるまで食べていいよ。」
 「本当ですか?」「ショウちゃん!」

 良の苦悩146 通算776
 「いいじゃないか。食べられる時に食べておくといいよ。成長盛りだからねぇ。その旺盛な食欲が羨ましいよ。わたしも中学、高校のときにはまるで底なしに食べたなぁ。」
 「数学の勉強の仕方も教えて貰いたかったけど、実はピザを食べるのも楽しみにしていたんだ。」
 「ショウちゃん、いい加減にしなさい!」
 「だって姉ちゃんマ…は僕に『あんな美味しいピザ食べたことが無い』って威張っていたじゃないか!」良 は大笑いした。

 良の苦悩147 通算777
 しかし、会話の中で二人の兄弟が何でも話していることは明白だった。
 「いい姉弟だなぁ。ところで、ショウ君。お姉ちゃんは恐い?」
 「はい、恐いです。家の中ではまるで鬼のようです。」 彼が美紀をからかっているのが分かった。
 「そうだろうと思ったよ。会社でもゴッド姉ちゃんとして、会社中に知られているからね。やはりそうか。」 二人は目配せをしていた。
 「ひど〜い、男二人が組んで…。」

 良の苦悩148 通算778
 俗に言う馬が合うのだろう、二人は打ち解けていた。
 最後のデザートでは「おじさ…部長さんのケーキを頂いてもいいですか?」
 「ショウちゃんったら!」
 「いいよ、いいよ。若者らしくていいよ。」
 「でしょ、おじさ…部長さん。」
 「ショウちゃん、おじさんと言おうとしたでしょ、それはダメよ。絶対ダメよ。」
 「いいんだよ。中学生から見ると三十歳を過ぎれば、みんなおじさん、おばさんだ。君もすぐにおばさんに見られる年になるよ。」

 良の苦悩149 通算779
 「話がわかるなぁ、部長さんは…。お姉ちゃんが『大好き』と言うのも分かるよ。」
 「バカ!ショウちゃんのおしゃべり!」 美紀は顔を赤らめた。社内の話まで弟にしていたのだ。
 「姉ちゃんの話は、いつも部長さんのことばかり。僕は聞きあきていたけど、分かるような気がするなぁ。」
 「それ以上調子にのると、ホントに鬼になるわよ!姉ちゃんだって!」
 「ああ、コワ!」美紀の剣幕(けんまく)に押されて彼は黙った。

 良の苦悩150 通算780
 「母からお金を預かっていますから、今回はわたしに払わせて下さい。」と強く言う美紀を制して良は支払いを済ませた。
 「部長さん、本当にいいんですか?僕のために来て頂いたのに。」躾(しつけ)のしっかりした子だった。
 「ご馳走様でした。ありがとうございました。」彼は姿勢を正して良にお礼を述べた。
 「ママは僕の勉強のことならいくらでもお金を出す教育ママ。」言い方の中にどこか棘(とげ)があった。

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       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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