連載小説 追憶の旅  「第3章  良の苦悩
                                 作:夢野 仲夫

    
美紀の弟・正一郎との出会い 「イタリア料理・ローマ」
 
 良の苦悩151 通算781
 三人は美紀のマンションに来た。
 「わたし、夕食の買い物に出かけます。弟をよろしくお願いします。」 二人は台所のテーブルで向かい合った。
 良が基本的な問題をやらせるとスラスラ解けた。
 「できるじゃないか。」
 「苦手なのは関数です。」 関数の問題を二、三やらせると悪戦苦闘している。関数の基本をつかんでいないようだった。
 比例から一次関数、二次関数を体系立てて教えると、飲み込は早かった。

 良の苦悩152 通算782
 「君は学校でも上位だろう?」
 「クラスでは一、二番です。でも、ママは『数学が悪いから勉強しろ』とばかり言うんです。全部の教科ができなければ、納得しません。」
 「それは大変だ。辛いねぇ。」
 「はい、ときどき逃げ出したくなります。…それに長い時間勉強しなければ納得しません。」
 「よくあるパターンだ。長時間やればやるほど上がると思っている親は多いからねぇ。」

 良の苦悩153 通算783
 「ママもそうです。僕が机に向かって、あいうえお、あいうえお、と書いていてもママは知らずに喜びます。」
 「顔に似合わず、言うことがきついねぇ。」
 「本当なんです。集中力が何時間も続くはずがないのに…。」
 「お父さんはどう言っているの?」
 「父は『俺とお前の子だから、そんなにできるわけがない』と言っています。」
 「『あなたが甘いからショウちゃんが勉強しないのよ!』と母が父に食ってかかるので、父はそれ以上言いません。

 良の苦悩154 通算784
 どこの家庭でもよくある話だった。長時間やればやるほど子どもは手抜きを覚える。大人の仕事でも同じであることが理解できないようだ。
 長期的に見れば、勉強嫌いな子にしていることに気付かないようであった。
 それだけではなく、歪(いびつ)な親子関係が生じることもある。
 「うちの子に限って…。」根拠のない確信を抱いているようであった。
 「僕のためって、言っているけど、本当は自分が自慢したいだけみたい…。」

 良の苦悩155 通算785
 聡明(そうめい)な子だった。母親の心の中まで見抜いていた。
 「さぁ、もう少しやるか。」良は良く出るパターンの問題をいくつか示した。彼はほとんど良の助けなしに問題を解いた。
 「例外の問題はこれだ。」良が出した問題にはてこずったが、ヒントを与えると自分で解けた。
 「君が持ってきた問題集を解いてごらん。」 まだ、不安を残しているようであったが、実際に問題がスラスラ解けることに驚いていた。

 良の苦悩156 通算786
 「姉ちゃん、俺、スラスラできるようになったよ。」美紀が帰ると目を輝かせて正一郎は言った。
 「ウソでしょ、たった、二、三時間でできるようにはならないでしょ。いくら部長でもそれは無理!」
 「本当だよ!見て、見て!」彼はよほど嬉しかったのだろう、美紀に問題を解いて見せた。
 「どうして?不思議ね…。でも、どうして?」彼は姉の喜ぶ顔が見たいのだろう、いくつも問題を解いた。

 良の苦悩157 通算787
 「どのように教えたらできるようになるの?」
 「わたしはそんなに教えてないよ。基礎がしっかりしているし、君に似て頭がいいんだ。飲み込みが早いのには驚いた。」
 「体系立てて教えて貰ったんだ。学校でもどこでも、その問題だけを教えるから分からないことが分かった。」
 「ふ〜ん。そうなんだ。部長はなぜ教えるノウハウを知っているの?」
 「まったくできない子を教えたことがあってね。どんなに教えても出来なかった。」

 良の苦悩158 通算788
 「なぜだろうと間違えたところを確認すると、分数計算ができないことが分かってねぇ。急がば回れで小学校からやり直し。あれには悪戦苦闘したよ。」
 「その子できるようになりました?」
 「以前よりはね…。勉強もスポーツと同じで、素質的要因が大きいからねぇ。君の弟は例外だ。基礎ができていて頭がいいから。」
 「頭がいいとは思えないけど?」
 「姉ちゃん、俺、ホントは頭が良いんだよ。能ある鷹は爪を隠すで、バカな真似をしているだけだ。」

 良の苦悩159 通算789
 「調子に乗らないの!」
 「じゃ、わたしはこの辺りでお暇(いとま)させて貰おう。ショウ君頑張って。」彼は立ちあがった。
 「待って下さい、部長。夕食をつくるために、わざわざデパートで買い物をしてきたのに…。」 美紀が良を引きとめた。
 「そうだよ、料理の下手な姉ちゃんが無理して料理をしたのだから、不味い料理を食べて下さい。」
 「また調子に乗って!」機転の利くところも彼は美紀に似ていた。頭の回転がいいのだろう。

 良の苦悩160 通算790
 「それに、部長の大好きなメロンも買ってきました。」
 「じゃ、遠慮なく頂こうかな。メロンと言われると涎(よだれ)が出そう。」
 「ワーイ、良かったぁ!」弟は満面の笑みをたたえている。
 「本当はまだ、家に帰りたくないんだ。」正一郎の一言が美紀の家庭の状況を表しているようだった。
 美紀はいそいそと夕食の支度を始めた。 エプロンをした美紀の後ろ姿には、新妻の雰囲気があった。

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       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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