連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

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  鈴木恵理は頭が良く、テキパキ仕事をこなす上に、周りへの気配りも出来る部下だった。そのため彼は彼女を重宝(ちょうほう)した。プロジェクトチームに彼が入るときには、必ず彼女を助手に選んだ。
  「残念ながら、鈴木君、何もない!」
  「ホントですか?部長は大切なことを、ときどき隠すじゃないですか」
 「仕方ないじゃないか、企業秘密は君にだって言えないだろう」
 「分かっています。いくら私がバカでも分かっていますよぅ。」

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  彼女はニコニコ笑っている。良は彼女の快活さも気に入っていた。25歳にもなっているのに色気もなく、仕事に熱中しているようだった。顔もスタイルもいいので、寄って来る男も多いだろうが、彼女は仕事が楽しくて仕方がないようだ。
  「部長、また食事に連れて行って下さい。美味しいところをよくご存じだから、美紀も楽しみにしています」
  紺野美紀は鈴木恵理の同期で、他部門の社員だった。彼女は食べることが趣味というより、むしろ、それを生きがいにしているような子だった。

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  「あの子かぁ…。あの子の食べっぷりには惚れ惚れするねぇ。じゃ、今日でも行くか?君は空いているかい?」
  「部長と食事できるなら、ぜーんぶ予定をキャンセルします。美紀も何があっても飛んできます」
 満面に笑顔をたたえ、声を弾ませて恵理は美紀に連絡した。携帯電話を通しても聞こえる、地声の大きい美紀の 「ラッキー!」がはっきりと聞こえた。

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  「ビストロ・シノザキ」はその名の通り、篠崎氏が開いている小さなフランス料理屋である。彼には世界大会でメダル獲得した腕があり、ホテルの料理長をしていた。しかし、庶民が気楽に食べられる店をと、何年か前に独立して店を開いた。
 それは見落としがちな裏通りにあった。良はシェフの料理と人柄が気に入って、ときどき通っていた。シェフがメダルを獲得した経験があるのを知ったのも、通い始めて一年も経っていただろうか。

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 前菜には、彼の好きなキッシュが必ず入れてあった。スープにはその時期に最も美味しい季節の野菜が中心だった。しかし、良の好みを熟知したシェフは、季節の果物を使った冷製スープを出してくれた。特に彼のお気に入りは巨峰のスープであった。
 魚料理には貝柱・エビのアメリカンソース−良が最も好きなソース−が常であった。いずれも薄口で上品な料理を作るシェフらしい味であった。
 鶏と羊は苦手だったが、それ以外の肉料理には良はあまりこだわりがなかった。

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  「美味しい!」を連発しながら、二人の女の子は食べた。遠慮なく食べる、その食べっぷりは見事で、彼らとの食事は美津子を忘れさせてくれる時間であった。恵理が不思議そうに尋ねた。
  「部長、どうしたら、こんないいお店を見つけられるのですか?」
  「簡単な方法などない。自分の足で、いろんな所に行くしかない。そのうちにいいお店に当たるはず。」
  「そんなこと、絶対に無理ですよぉ、そんなお金の余裕はないもの、ね〜美紀。あ〜美紀は違うけど…」
 美紀はキッと恵理を睨(にら)んだ。

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  「でも、料理人を見れば大体見当がつくと思うよ。雑な料理人は雑な料理しか作れない。仕事もまったく同じ。思い当たる節はないかい?」
  「そう言えばそうだわ。会社の人に当てはめると…」
二人は同感したのか、同僚の具体的な名前を出しては、声を立てて笑った。
「自分の料理が最高だ、と言わんばかりの料理人も中途半端だと思うよ」
 今度も同僚の名前を出して、
  「そういえば、仕事が中途半端にできる人ほど傲慢(ごうまん)よねぇ。」

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  他の客がすべて帰ったので、シェフも楽しそうにしゃべる彼らの仲間に加わった。
  「柳原さんのご高説をうけたまわりましょうか。」
  冗談まじりだったが、良の話に興味を持ったようだ。
  「この商売をしていると、意外にお客さんは本当のことを言ってくれません。美味しいとだけしか言ってくれません。」

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  「中にはA5の肉をなぜ出さないのか、と苦情を受けることもあります。おそらく聞きかじりでしょうが、この値段ではねぇ。」
 「柳原さんは、いつも忌憚(きたん)なくおっしゃってくれます。しかし、じっくりお伺いお聞きしたことはないので、今日は本当にいい勉強になります」
  「止めて下さいよ。世界大会のメダリストが!」
 「イヤイヤ、それはずっと昔の話です」 あくまで謙虚であった。

 美津子との再会80
 そうなのだ。世界で認められた料理人ほど、上には上がいること、味覚は千差万別であることを知っているのだ。
 それに反して、広い世間を知らない料理人は、井の中の蛙(かわず)で「自分の料理が最高」と思い込むのであろうか?
 篠原シェフの言うように、客もまた同じことが言えるのではないか−中途半端に食べている人ほど、知ったかぶりをして、あれこれ御託をならべるのかもしれない。
 黙ったまま、恵理はじっと良を見つめている。 その瞳には上司を見るそれだけではない何かがあった。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

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