連載小説 追憶の旅     「第3章  良の苦悩」
                                 作:夢野 仲夫

  美津子と想い出の店で 「和風居酒屋 参萬両」
 
 良の苦悩181 通算811
 「ミツコとイタリア料理「まちかど」で再会してから、何かが俺の心の中で変わった。今までずっと忘れていた疑問が湧いて来たんだ。」
 「わたしと再会したために?」
 「俺の人生はこれで終わるのか、別の人生があるんじゃないか?君と別れてから、俺の人生は憎しみが命だった。」美津子は思いつめたように、正面じっと向いたまま聞き耳を立てていた。
 「時間とともにそれは忘れられていた。しかし…。」言葉が詰まり、しばらくの間沈黙が続いた。

 良の苦悩182 通算812
 良の目からは涙が流れていた。美津子は良の方に顔を向けた。しかし、何も言わなかった。
 「…君との再会が…自分の人生を振り返らせた…。」
 「…わたしだってぇ…。」
 「すべてのしがらみを捨てて、知らない町で生きたい、そうとも考え始めた。」「…。」
 「会社での責任、夫としての責任、親としての責任…。そこから逃れたいという気持ちも含まれているかもしれない…。」

 良の苦悩183 通算813
 「要は、すべてがイヤになったんだ。新しい人生を考えるにしても、もう時間がない。人生の折り返し点を過ぎようとしている…。」
 「リョウは若いわ。でも、女は…もっと時間がないのよ、リョウ。」 膝においた良の左手を、美津子はカウンターの下で握った。
 そのときママ座敷席から戻る足音が聞こえた。美津子はさっと手を離し、良は涙をぬぐった。
 「深刻な話のようね、お二人さん。リョウ君、今日は食べてないじゃないの。ママが折角作った料理を。」

 良の苦悩184 通算814
 「みっちゃん、リョウ君に深刻な話はダメよ、泣き虫だからね。」
 「ママさんの言う通り、わたし、リョウを泣かせちゃった。」
 「悪い人ね、みっちゃんは。で、どうなの?二人は一緒になりたいの?」
 「ママ!」
 「分かっているわよ、リョウ君。リョウ君はどうなの?」「分からない。」
 「みっちゃんは?」
 「わたし…わたし、リョウが好き、リョウとやり直したい。」

 良の苦悩185 通算815
 「女は強いねぇ。みっちゃんも強くなったねぇ。今にも壊れそうだった、あのみっちゃんがねぇ。」
 「うふ、ママ、わたしも四十二よ。強くなるわ。」
 「えー、まだ、三十五、六かと思ったわ。」
 「リョウと同い年だもの。」「そうだったね。」
 「こうして二人を並んで座っているのを見ると、ママも二十年前を思いだす。わたしもあの頃は若かった…」ママも感慨にふけっているようであった。
 「ふふ」ママは含み笑いした。

 良の苦悩186 通算816
 「ママ、何か思い出したな?」
 「リョウ君がサラリーマンと言い合いをしたことを思い出したわ。あの時の、リョウ君の顔ったら…。アハハハ…。」
 「ああ、あの時?…そうよ、わたしもどうなることかとドキドキしたわ、殴り合いになるかと思ったわ。」
 「あのサラリーマンに悪いことをしたよ。俺も若過ぎた。ママが止めに入らなかったら、俺は殴られていたと思うよ。なにせ相手は大きかったから。」

 良の苦悩187 通算817
 ここでもママの機転に救われた。ママは話題を変えたのだ。
 それはサラリーマンの在り方について口論したときのことだった。偶然、隣合わせに座ったサラリーマンと言い合いになった。
 「上司の言うことが間違っていても、黙って指示に従わなければ企業では生きていけない。むしろ胡麻を擦って生きる方が出世するだろう?」ママに盛んに同意を求めていた。正義感の強いママは納得できないようで、曖昧(あいまい)な返事を重ねていた。

 良の苦悩188 通算818
 二人は最初、その話を無視していた。
 「学生さんには分からないだろう。」突然、良に話しかけたが、彼は無視した。しかし、あまり何度も繰り返すので良も口を挟(はさ)んだ。
 「サラリーマンは心まで売らなきゃダメですか?」突然、反論されたて気色(きしょく)ばんだ。
 「当り前だろう!それは常識だ。」飲んだ勢いも手伝ったのだろう、語気を強めた。
 「そうだとは思わないがなぁ。」良は最初は落ち着いていた。
 「学生さんに何が分かる!実際に会社に入ったこともない奴が!」さすがに良も腹を立てた。

 良の苦悩189 通算819
 「僕は会社に入っても、絶対に心を売らない。そうまでして会社に縋(すが)りつきたいとは思わない。」 売り言葉に買い言葉が、彼らをさらにエスカレートさせた。
 「アンタは自信があるようだけど、会社に入ればそんな自信なんて吹っ飛ばされる。往々にして今の学生さんは自信過剰の奴が多い。アンタもその一人か?」
 「逆に、あなたは仕事ができないんじゃないの?仕事ができれば上の人も一目おくと思うよ。」

 良の苦悩190 通算820
 一般論から個人攻撃の様相を呈した。美津子は良の腕を盛んに引っ張って止めようとした。しかし、彼は引かなかった。
 「リョウ君が顔色を変えて言い合いをしたのを、ママは初めて見たわ。わたしが止めなければ大変なことになっていたねぇ。」
 「わたしが腕を引っ張っても、頭に血が上ったリョウはまったく無視だった。」
 「俺も若かったからなぁ。あの人に悪いことした…。」
 「二、三度来たお客さんだったけど、あれから音沙汰なし。」

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       第3章 良の苦悩(BN)
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 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
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 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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