連載小説 追憶の旅     「第3章  良の苦悩」
                                 作:夢野 仲夫

 
 良の苦悩191 通算821
 「ママ、俺、悪いことをしたなぁ。折角のお客さんを…」
 「良いのよ、リョウ君。カップルで来ているお客さんに、話しかけるようなお客さんはいらない。」 ママはさすがに水商売で長く生きている。
 お客さんにも守らなければならないルールがある。デートのしている邪魔をすることは許されない。 最近、「お一人様」のお客が増えている。中には偶然隣に座った客にしつこく話しかけて、その迷惑に気づいていない人もいる。

 良の苦悩192 通算822
 一人で食事を楽しめない客は、お一人様ではないのだ。単なる厄介者(やっかいもの)に過ぎない。
 「そろそろミッちゃんを送った方がいいよ、リョウ君。」ママは彼に何かのサインを出しているようであった。
 「そうだね、ママ。」 「リョウ君とママは本当の親子みたい。」
 「俺のお袋は亡くなったから、ママを頼りにしているんだ。」
 「リョウ君は、いくつになっても甘えん坊で泣き虫だから、ママは心配なのよ。それに一途だしねぇ。」


    
(本文) 美津子との復活

 良の苦悩193 通算823
 参萬両を出ると、美津子はそれを待っていたかのように、良に話しかけた。
 「リョウ、まだ帰りたくない。リョウがどこか遠くに行ってしまいそうで…。だって…リョウは突然、何をやりだすか分からない人だもの…。」
 「君の子どもはどう言っているの?アメリカに行きたいの?」彼は話題を変えた。
 「行きたくないみたい。知らない国へ行くのが不安だから。『場合によっては単身赴任(たんしんふにん)する』と主人も言っているわ。」

良 の苦悩194 通算824
 「それはダメだろう。ご主人の定年まで、あと十二、三年か…。それは長いよ。」
 「子どもの教育のことを考えると不安みたい。」
 「それもあるなぁ。」
 「リョウのバカ、バカ!」美津子は突然良に抱きついた。
 「リョウは何にも分かっていない。子どもを味方につけて、わたしがアメリカに行かなくてもいいようにしているのに…。」
 「リョウと離れたくない!主人がアメリカに行っても…わたし…わたし…何ともないのに…。」

 良の苦悩195 通算825
 美津子は涙ぐんでいた。
 「リョウ…。」「何?」
 「リョウ…リョウ…」「ミツコ、何?」
 「わたし…わたし…あなたの奥さんから…リョウを奪ってしまいたい!」 良は答えられなかった。
 良の今の悩みはすでに美津子を離れていた。美津子との再会が発端(ほったん)ではあったが、一人の女性との関係だけでなく、今まで生きてきたこと、いわば彼の生き様への疑問だった。もちろん、美津子への限りない愛しさは変わってはいなかった。

 良の苦悩196 通算826  
 I want to marry you. But we can’t. What shall I do? I love you. I love you.
 「わたしあなたと結婚したいわ。でも、できないのね。わたし、どうしたらいいの?とっても、とっても大好き、あなたのこと。」
  あの二十年前のメモと、彼女の気持ちは変わってはいなかったのだろうか? 二十年前のボタンの掛け違いがすべての原因なのだ。
 良の弱さとコンプレックスが、二十年後に、さらに周りを巻き込みかねない問題となって降りかかった。

 良の苦悩197 通算827
 「リョウ、二人だけになりたい…。リョウ…。」腕の中で美津子は甘えた。点滅を繰り返すカラフルな夜のネオンに、成熟した美津子の白いうなじが良を求めているようであった。
 「…ミツコ…。俺だって…。だけど…。」「だけど?」
 「前にも言ったように、何かが起こりそうな…。」その予感には美津子との別れもあった。それは二度と会うことのない別れであった。しかし、彼はそれを口にできなかった。

 良の苦悩198 通算828
 「リョウは寂しい顔をしている。なぜなの?本当は二人っきりになりたくないんでしょ。」
 「ちがう!それはちがう!」人通りが少ないとはいっても、中年の男女が抱き合う姿は、通りすがりの人には異常な光景のようであった。
 「周りが見ているわ、リョウ。」美津子は良の手を握って歩き始めた。良は黙ってそれに従った。
 二人で入ったことのあるラブホテルに向かっているようにも思えた。

 良の苦悩199 通算829
 それは、彼らの意識に深く刻みこまれた記憶なのだろうか?
 ホテルは二十年前とは様相が違っていた。名前だけは同じであったが、外観からだけではまるで違うホテルのようであった。
 「入る?リョウ。」
 彼を見つめた美津子の瞳には、すがるような真剣さがあった。 ラブホテルに慣れていない良はどうしていいのか戸惑った。
 美津子は良の脇に身体を縮めるように寄せていた。

 良の苦悩200 通算830
 「…美津子は…美津子は…こういうところに…よく来るのか?」前に入ったラブホテルでの良の言葉が、彼女の積極的な行動を抑えさせているのだろうか?
 部屋の中は二十年前と様変わりしていた。若い人たちが多く利用するのだろうか、オシャレな内装が施(ほどこ)されていた。
 二十年前の美津子と比べて、はるかに成熟した女を感じさせる美津子であった。二人の間に淫靡(いんび(な空気が漂った。

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       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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