連載小説 追憶の旅     「第3章  良の苦悩」
                                 作:夢野 仲夫

   
(本文) 美紀と初めての夜

 良の苦悩271 通算901
 「リョウ君…。」
 「うん?」呼びかける美紀の表情はたおやかであった。
 「責任を感じなくてもいいのよ。わたし、リョウ君との一生の思い出ができて嬉しいの…。」
 「大好きなリョウ君との思い出さえあればいいの…。」
 「…。」 彼を見つめる瞳には、何でも受け入れる優しさ、良を包み込む慈(いつく)しみがあった。  
「リョウ君は…自由にいきていいの…。わたし、それを傍(そば)から見ているだけでいい…。」

 良の苦悩272 通算902
 「美紀…」「はい…」
 「美紀…」「はい…」
 名前を呼ぶだけの短い会話に、美紀も良の深い愛情を感じていたようだった。
 「美紀、一つだけ聞いてもいい?」「な 〜に?」
 「あの夜、俺は確かに自分の身体に、女の身体を感じた。君は何していたの?」
 「うふ、まだ気にしていたのね。ヒ・ミ・ツ…。」
 「教えて、美紀。」
 「…知りたい?うふ…。ホントは…ホントは手とお口で悪戯(いたずら)してたの。」
  「美紀は助平だなぁ。」
 「だってぇ、面白かったんだもん。」

 良の苦悩273 通算903
 今まであった二人の距離が一気に縮まっていた。 
 「リョウ君…」「なに?」
 「ううん、呼んでみただけ…。」
 「美紀はかわいいねぇ。仕事をしているときの美紀とか恵里と三人でいるときの美紀とはまるで別人のようだ。」
 「リョウ君だって同じよ。仕事のときは鬼みたい。でも、こうしているとまるで子どものよう。」
 さりげない会話の中にも、精神的なつながりだけでなく、肉体関係もある男と女のだけに流れる特有の雰囲気があった。

 良の苦悩274 通算904
 それは精神的なつながりだけでは流れない、肉体関係だけでも決して流れない雰囲気であった。
 「手と口で悪戯(いたずら)して…。」
 「ダ 〜メ、リョウ君が寝たら、また悪戯(いたずら)しようかな。」 良にとって、このような心も身体も安らいだのは、思い出せないほど遠い昔のことであった。
 それは二十年前の美津子とデートしていたとき以来であった。
 美津子と再会して体の関係を持ったが、どこかに美津子への表現できない距離を感じていた。

 良の苦悩275 通算905
 「どうしたの、リョウ君?」
 「美紀、怒らない?何を言っても怒らない。」
 「…怒るかも…?」
 「じゃ、言うのを止める。」
 「意地悪ねぇ、言って…。」
 「こんな穏やかな気持ちになったのは、二十年前に美津子を抱いた時以来。美津子とまた…、でも、こんな気持ちにはなれなかった。自分でも不思議に思っている。」
 「ホント…?わたしも今までと何か違うの。気持ちに大きな変化が起きたような気がするの。」

 良の苦悩276 通算906
 「美津子さんには嫉妬を感じていることは同じ…。これまではどんなに背伸びしても届かない距離を感じていた。でも…同じようなところに立っているような…。」
 良の心の変化と同じような感覚を得ていたようであった。
 どんなときも美紀は良に献身的であった。恵里が飲みすぎたあの日も…。自分を捨てて恵里とのお膳立てをした美紀。
 常に自分の気持ちを抑えて、周りの幸せを考えていた美紀。
 与えるが求めない。そのためにどれだけ自己の中で葛藤(かっとう)があっただろう。

 良の苦悩277 通算907
 それは何かに似ていた。思い出せない遠い記憶の中にある記憶であった。
 「わたし、心配なことがあるの。」「なに?」
 「恥ずかしいけど…。リョウ君、聞いてもいい?」「なに?」
 「やはり、やめようかな?」
 「そこまで言って止めるのはダメだろう。」
 「笑わないでよ。絶対に笑わないでね。…セックスも相性があるのでしょ。わたしと…?」
 「相性を聞きたいの?」「はい。」

 良の苦悩278 通算908
 「君はどう思う?」
 「分からない。でも、少し痛くて、それに恐かったけど夢のようだった。わたし、リョウ君を喜ばせられる体かどうか心配なの。」
 「バカだなぁ、一回や二回では分からないよ。」
 「だってぇ、雑誌に書いているじゃない。」
 「それは経験豊富な人のこと。君のように初めて経験した子に分かるはずがない。」
 「わたし、初めてじゃないもん。悪い男と…。」こんな状況でも彼女の姿勢は変わらなかった。

 良の苦悩279 通算909
 自分を捨てて、ひたすら良を守ることだけを第一においていた。体の関係ができたことをきっかけに、相手に求めることを当たり前のように振舞う女性が多いのに。
 しかし、今までと同じように、いや、それ以上に自分を捨てようとしている美紀。良は堪らず唇を重ねた。
 良に負担をかけまいと、出会いのときから強い決心をしていたのだろう。そのことが、良に対する美紀の強くて深い愛情と執念を感じさせた。

 良の苦悩280 通算910
 「リョウ君、ホントは美津子さんに…ヤキモチを焼いているのよ。」彼女の奥深く美津子が影を落としているのだろう。
 「分かっている…。でも、心の整理がつかない。美津子は俺の人生そのものだったんだ。」
 「リョウ君、無理しなくていいのよ。わたしはリョウ君との…かけがえのない思い出ができただけで幸せだから…。」 彼は美紀の胸に唇を這わせた。
 「アン…お話したいのにぃ…悪戯(いたずら)はダメ…ア 〜ン、ア 〜ン…。」彼の腕の中で充足した喜びに浸っているようであった。

 次のページへ(911〜920)

       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

カウンタ

                             トップページへ  追憶の旅トップへ