連載小説 追憶の旅     「第3章  良の苦悩」
                                 作:夢野 仲夫

   
(本文) 「良の家庭崩壊」

 良の苦悩291 通算921  
 「お互いに結婚前は夢があったよ。今じゃ、この体たらく。まぁ、ヤナちゃんは俺と違って忘れられない女性、確か美津子さんだったっけ…その女性がいたから、それが常に頭の隅にこびりついていたんだろうけど…。」
 「美津子さん?」朱里(あかり)が尋ねた。
 「ああ、たしかそういう名前だったような気がするけど…。」
 「ハナちゃんは相変わらず記憶がいい。顔はわるいけど…。」
 「それはお互い様。」二人は声を出して笑った。

 良の苦悩292 通算922
 「焼けぽっくいに火か?まさか不倫じゃないだろうな?」
 「さぁ、どうかな?」
 「一緒になりたいのか?」
 「いやいや、そういうわけじゃない。何もかも捨てたくなって…。ハナちゃんには無いのか?自分の人生はこれで良いのか、という疑問は湧いてこないのか?」
 「それは思うさ。毎日思っている。人生これで終わるのか、選択できる限界の年に差し掛かっているから。男なら誰でも思うだろう。」

 良の苦悩293 通算923
 「女だって同じよ…。」黙って聞いていた朱里が口を挟(はさ)んだ。
 「女は自分の容姿の衰えを感じ始める頃に思うわよ。これで自分の人生は終わりかって…。もっと違う人生があるような気がするのよ。」
 「女も同じか?」
 「あなたの奥さんだって分からないわよ、花村部長さん。すべて捨てて、どこに生きようが同じような人生が待っているだけ…。むしろ、悪くなる場合が多いわ。わたしの知っている限り…。」

 良の苦悩294 通算924
 「ヤナちゃん、後悔はないのか?」
 「ない、それはない。」
 「今はそうかもしれないけど、柳原部長さんも後悔する日が来るかもしれない。水商売をやっていると、男と女の修羅場を何度も見てきたわ。」
 「ふ 〜ん。」
 「みんな業(ごう)を背負って生きているのよ。」 良は考えさせられた。自分だけでなく、人は重い十字架を背負って生きているのであろうか?
 「ところで、焼けぽっくいの話は?」朱里(あかり)が尋ねた。
 「やはり火がついたのか、ヤナちゃん?」

 良の苦悩295 通算925
 「点いたような、点かないような…。」
 「どういうことだ?」
 「何かが自分を押しとどめる。」
 「それなら別れた方がいいぞ。悪いことは言わない。それとも魔性の魅力でもあるのか?アチラの方が凄いとか?」
 「男はすぐにそういう話になる。本質的に助平ねぇ。」
 「ハナちゃんが会っても、おそらく惚れ惚れするほどの良い女だ。だが、何かが引っかかる。」
 「ヤナちゃんは繊細だからなぁ。」

 良の苦悩296 通算926
 「他の者がまったく気づかないところに気づく。もっと鈍感になれよ。朱里(あかり)ちゃんも気をつけた方がいいぞ。キャツは恐ろしいほど敏感で繊細だぞ。」
 「コワイ、コワイ…。でも、それが女にとって魅力なのよ。心の底まで見通される恐さと、いつ去って行かれるかもしれない不安、それをどちらも感じさせるのが柳原部長の魅力。気前はいいし…。」
 「オイオイ、何もでないぞ。」
 「な 〜んだ、損しちゃった。チップでも貰えるかもしれないと思ったのにぃ。」

 良の苦悩297 通算927
 「だから女は怖い。だろ、ヤナちゃん?」「…。」
 「柳原よ、気をつけろよ。」真面目な表情で花村は良に話しかけた。
 「何のことだ?」
 「お前はモテる。会社でも若い女の子が寄ってくるだろう。実際、人事部でもお前のファンがいる。どこがいいのか俺にはさっぱり分からないが…。奥さんと別れたすぐには、絶対に再婚をするなよ。」
 「なぜだ?」
 「必ず後悔する女を捕まえることになる。」

 良の苦悩298 通算928
 「寂しさが選ぶハードルを下げるから、同じ過ちを繰り返す。」
 「花村、お前はさすがに人事部長だなあ。見直したよ。」
 「切れ者のお前さんに褒められて嬉しいよ。俺の評価は堅物(かたぶつ)だから…。」
 「お前それを知っていたのか?」
 「知っているさ、はっきり言う奴もいるからな。」
 「人事部長に向かって言うとは大した度胸の奴もいるものだ。そいつは将来モノになるぞ。俺のところによこせ。俺が徹底的に鍛えてやる。」

 良の苦悩299 通算929
 「女だけどいいか?」
 「この際、男でも女でも構わん。将来のわが社を背負う一人になる。」
 「一体、誰だ?」
 「知っているかなぁ、紺野美紀という二十五歳の子だ。わが社でもナンバーワンの美人として有名だそうだ。」
 「エッ、あの子かぁ。」
 「知っているのか?ヤナちゃん。」
 「お前のお気に入りだと社内でも評判の子か。」
 「どうせ、うちの部の人間が言いふらしているのだろう。面白おかしく。」

 良の苦悩300 通算930
 「どういうことだ、さっきの話は。」
 「紺野君の大学の後輩を、入社させるかどうかで迷っていたとき、彼女はその子を知っていた。そのためどんな学生かを尋ねたんだ。」
 「それで?」
 「すると彼女は『部長、しっかりして下さい。部長は色んな人に尋ねてリスクを負いたくないのでしょう。自分の目を信じて決断すべきです。』と部下の目の前で言い放った。俺は参ったね。」
 「ハッ、ハッ、ハッ。あの子なら言いかねない。ハッ、ハッ、ハッ。」

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       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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