連載小説 追憶の旅     「第4章 別れのとき」
                                 作:夢野 仲夫

  
 (本文) 「レイクサイドホテル」
 
 別れの時36 通算1001
 「リョウは輝いていたわ。」
 「頼まれたからやっただけだよ。」
 「あれだけの観客の前でしゃべるのは度胸がいったでしょ。」
 「心臓がバクバクだった。」
 「そうは見えなかったけど…。」
 「最初は、マイクを持つ手が震えていたんだ。」
 「ウソでしょ、そんな風にはとても見えなかったわ。声帯模写を交えながら堂々としていたわ。由美も驚いていたみたい。」
 「由美かぁ?君を俺に紹介してくれた子かぁ。あれからずっと会ってないなぁ。」

 別れの時37 通算1002
 「由美と今でも付き合っているの?」
 「数年前まではときどき…。」
 「懐かしいなぁ。元気でやっている?」
 「元気だと思うけど…。」
 「会ってみたいなぁ…。あの子もミツコと同じくらいキレイだったから、今もキレイだろう?」
 「とってもキレイよ。でも、リョウは会わない方がいいと思うわ。」
 「どうして?」
 「わたしとリョウを会わせたことを後悔していたから…。それに…。」
 「それに?」

 別れの時38 通算1003
 「わたしたちの関係を知ったら、別れるように言うに違いないもの。」 良が由美と会うことを、美津子は何となく歓迎していない様子が窺(うかが)えた。
 「連絡先は分かる?」
 「数年前のことだからはっきりしないの。お家に帰ると分かるかもしれないけど…。」
 「由美と何かあったの?」
 「…別に何もないわ…。それよりリョウ、今日はどこに連れて行ってくれるの?」さりげなく話を逸らせた。
 彼女は美津子にとって、あまり好ましい友人ではないように感じられた。

 別れの時39 通算1004
 むしろ、良には会って欲しくないようであった。良が彼女と会っては困る理由があるのだろうか?ある種の不信感が生まれた。
 美津子と会うたびに生まれる不信感−彼女には彼に言えない何かがあるように思われてならなかった。
 「リョウ、どうしたの?」
 「ううん、何でもない。これから行くホテルをミツコが気に入ってくれるかなぁ、と考えている。」
 「ホテルなの?部屋をとっているの?」

 別れの時40 通算1005
 「まさか。シェフとも親しいのでそれは無理。それでなくてもミツコは上品でキレイだから目立つのに…。」
 「うふ、お口の上手いこと。そうやってリョウは女性を口説くんだ。」彼女は良の太腿に乗せていた手で軽く抓(つね)った。
 「俺、女性を口説いていないよ。逆にミツコは色んな男性に口説かれていたりなんかして…。」
 「リョウはわたしを信じてないのね。」 普通なら聞き流すはずの美津子が即座にしかも強く否定した。

 別れの時41 通算1006
 「…この前リョウと会ってから、ずっとリョウのことばかり考えていたのよ。電話をしてもリョウはなかなか会ってくれないし…」。
 「時間がないんだ。ずっと仕事に追われている。俺だってミツコに会いたかったさ」。
 「ホントに?リョウはわたしに女の悦びまで教えて…、とても冷たいんだもの」 。
 「あれから考えていたの。リョウはさんざん遊んだのだろうって…」。
 「どうして?」
 「結婚して何年もなるのに、わたしセックスの本当の悦びを知らなかったの…」 。

 別れの時42 通算1007
 「それなのに…リョウはわたしを…。テクニックが凄いから…。」
 「ミツコ。」
 「はい。」
 「君は本当にそう思っているのか?」
 「エッ、違うの?」良には美津子の考えが理解できなくなっていた。男と女の関係への理解が彼女とは大きく違っていたのだ。
 「俺には何のテクニックもない。」
 「でも、わたしは…。」
 「君と別れてからの何年間は地獄だった。心がすさんでいた。何をやっても常に行きつくところは敗北感だった。」

 別れの時43 通算1008
 「君を抱いたとき、俺は…この二十年間の思いを…君への思いをすべて…俺の今までの人生をすべて込めて抱いたんだ。それがミツコに伝わったと思っていた…。ミツコはそれを…セックスのテクニックと思っていたのか?」
 「ごめんなさい。リョウ君、許して…。わたしはリョウのそんな思いも知らず…。」
 「ミツコが求めていたのはテクニックだったのか?」
 「違うわ、リョウ違うわ!」

 別れの時44 通算1009
 「本当にわたしを、わたしを思い続けてくれた人は、リョウ以外にいない。リョウに抱かれる日が来るとは思わなかった。夢のようだったわ。リョウ、分かって。お願い!わたしを信じ…。」 「…」。
 「わたしだって、リョウの腕の中で二十年前のあの日のことを重ねていたのよ。別れを意識しながら送った日々のことを…。」 美津子は目に涙を貯めていた。それが何の涙か良には分からなかった。
 「リョウがいなければ…わたしは…。」

 別れの時45 通算1010  
 彼らは湖の近くに来ていた。車を止めて澄んだ水面を眺めた。別れを意識しながら美津子が来ることのない新婚生活を、涙を浮かべながら語った、あの日のことが鮮明に浮かんだ。

 「朝、リョウをわたしが起こすの。『会社遅れるわ』って。眠そうなリョウがやっと目を覚ますの。『ミツコ、俺、まだ眠い』って。」
 「わたしは…リョウの帰りを待つの。夕食の支度を済ませ、お風呂の用意をして…。疲れたリョウが帰ると、一緒にお風呂に入るの。」
 「わたしがリョウの身体を隅々まで洗ってあげるの。リョウはじっとしているだけでいいの。」

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       第4章 別れのとき(BN)
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 (0986〜) 恵理の葛藤
 (0996〜) レイクサイドホテル
 (1031〜) 美津子との距離
 (1046〜) 美紀のマンションで
 (1066〜) 恵理との小旅行
 (1083〜) 「日本料理 池田」
 (1094〜) 「恵理へのラブレター」
 (1111〜) 「恵理の初めての経験」
 (1176〜) 美津子の秘密「和風居酒屋 参萬両」
 (1196〜)  美紀への傾倒
 (1221〜)  最後のメール