連載小説 追憶の旅  「第3章  良の苦悩
                                 作:夢野 仲夫

 登場人物とあらすじ
1章:美津子との再会
(1〜314) 学生時代、大恋愛の末に別れた美津子の幻影から逃れられず、ずっとその幻影を追い続ける良(りょう)。その彼女に20年ぶりに出会う。一方、妻子ある良に心を寄せる部下の恵理彼女の親友の美紀。良を巡る3人の女性の愛憎を描く。

2章:千晴との出会い(315〜630) 大学を卒業してサラリーマンになった良が通う食堂で知り合った千晴。通りすがりの人が振り返るほどの美貌を備えた彼女。美津子との過去に縛られた良と千晴の想い出を織り交ぜながら、恵理と美紀との愛の行方は?

3章:良の苦悩(631〜) 20年前に別れた美津子との出会いが良の心を悩ませた。さらに千晴の化身のような美紀ひたむきに良を慕う恵理との間(はざま)を揺れ動く良。良をめぐる三人の女性の愛の行方は?


     
人生の転換期に苦悩する良 「ビストロ・シノザキ」
 
 良の苦悩131 通算761
 「貝柱一ついいかしら?」−イタリア料理屋「まちかど」でさりげなく、良の皿から貝柱を取った美津子との想い出が浮かんで消えなかった。その美津子とも別れがあった。
 出会うということは、別れをその中に含んでいるのだろうか?幸せもその中に不幸を含んでいるのであろうか?
 「部長、何か変です。どうなさったの?」
 「ううん、何でも無い…。」 若い恵理に言ったところで理解してもらえるとは思わなかった。

 良の苦悩132 通算762
 最後に牛ヒレ肉のマデラワインソースだった。甘口のソースは若い恵理に合わせたものであることが分かった。先日のお返しをしようとのシェフの気持ちがあったのだろう。
 「このソース甘くて美味しい!」
 「今日はお口に合いましたか?」 微笑みながら篠崎シェフが顔を出して、恵理に尋ねた。
 「とっても美味しいわ。こんな美味しい料理は初めてです。」 恵理は感激しているようであった。
 「それは良かっです。満足して頂いて嬉しいです。」

 良の苦悩133 通算763
 「柳原さんには少し甘いソースかもしれません。今回はお嬢さんに合わせました。」
 「分かっています。さすがです。対応の早さには驚きました。」
 「そんなに褒(ほ)めないで下さい。恥ずかしくなります。」
 「デザートも三種類で豪華で…。」
 「女性はデザートに敏感ですから、頑張っています。」
 「良かったね、鈴木君。」
 「はい、良かったです。大感激です。」

 良の苦悩134 通算764
 「部長は最近何か悩み事がありませんか?」 店を出るとすかさず恵理が尋ねた。
 恵理はずっと気にかかっていたのだろう。
 「どうしてだね?」
 「仕事中でも何か考え事をしているような、暗い顔をしています。」
 「何もないよ。君の思い過ごしだろう。」  いつも送る公園の傍に来ていた。
 「リョウ君」優しい声がした。「うん?」
 「何かあったら、わたしに言って下さい。何もできないけど、聞くことだけはできます。」

 良の苦悩135 通算765
 「恵理、ありがとう。しかし、自分で片付ける以外に方法はないんだ。」
 「やはり、何かあるのですね?」
 「大したことではない。」「ホント?」
 「ああ、本当だ。」 恵理はそれ以上良を追求しなかった。それ以上追及すれば、良をさらに追い込むような気がしてならなかった。
 「恵理、こうやって恵理と食事ができる幸せが、いつまで続くのだろう?」「えっ?」
 「俺は幸せを感じる度に、常に次の不幸を感じてしまう。」

 良の苦悩136 通算766
 「若い君にはわからないだろうが、わたしは、すでに人生の折り返しを過ぎようとしている。」
 「リョウ君は、リョウ君は、若いのに…。そんなことを…。」
 「本当に今までの人生で良かったのか、と思いあぐねることもある。違う人生を求めるなら今しかチャンスはないかとも…。」
 「…美津子さんのことですか?…本当に…本当に…素敵な人…。」
 「彼女のことだけではない。」

 良の苦悩137 通算767
 「仕事にしても…今のままでいいのかと、自分を見つめ直したいときがある…。」
 「…。」
 若い恵理に話したところで理解できないだろうと知りながら、良は告白した。
 「俺は何のために働いているのだろう?と思うときもある。黙って働けばそれなりの地位も給料も貰えるだろうが…。」
 「わたしにはわかりません…。でも…部長が遠くに行きそうで…。」
 真正面から良を見つめた。その瞳には良への限りない愛情が込められていた。

 良の苦悩138 通算768
 「…わたしはリョウ君のようなことを考えたことはありません。今まで一度も…。」 公園の街灯が彼女を仄(ほの)かに照らしていた。その姿と、ふいに弥勒菩薩とオーバーラップした。良にとって久しぶりの感覚だった。
 「生活のために働くことは理解している。しかし、何か違うような…。本当に俺を会社は必要としているのだろうか?」
 「部長がいなければ、わたしたちはみんな困ってしまいます。」
 「それは分かっている。」

 良の苦悩139 通算769
 「わたしが辞めれば次の部長が生まれる。それで会社は何の影響もない。」
 「…。」
 「要は歯車に過ぎないのだ。」「…。」
 「何もかも…捨ててしまいたいときがある…。」 良の頬にも涙が流れた。
 「リョウ君…。」「…。」
 「リョウ君…。」 彼女は良を抱きしめた。
 「リョウ君と毎日顔を合わせるだけでいいの。そんな寂しいことを言わないで、お願い!」

 良の苦悩140 通算770
 二人はしばらくの間ハグしていた。美津子と美紀、そして恵理の三人の女。それらが彼の頭の中を駆け巡った。
 男と女ではなく、それらは人生の分岐点を大きく左右する障害物のようであり、彼にとって、なくてはならない最も大切な宝物にも感じられた。
 「リョウ君好き、リョウ君好き…。遠くへ行かないで…。」 何度も訴える恵理の声が良の耳に響いた。
 「ビストロ・シノザキ」でふと浮かんだ恵里との生活が、再び浮かんでは消えた。

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       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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