連載小説 追憶の旅     「第3章  良の苦悩」
                                 作:夢野 仲夫

   
(本文) 美津子との復活
 
 良の苦悩211 通算841  二人の激情がホテルのベッドを軋(きし)ませた。二十年前の彼女の身体の感覚は、彼の記憶に残ってはいなかった。当時は余裕もなく、それに数回だけの経験の少なさのためだろう。
 「リョウ…リョウ…。」彼女は激しい波に漂いながら、ひたすら良の名前を呼び続けた。 二人のセックスのリズムが、次第に合ってきつつあった。二人だけの固有のリズムであった。
 「こわ〜い!リョウ、こわ〜い!う〜ん!どこかにいっちゃう!」美津子は大きな声を上げた。

 良の苦悩212 通算842
 次の瞬間、彼女の身体は反り返り、小刻みな痙攣(けいれん)を繰り返した。美津子はオルガスムスに達したのだった。
 終わった後も「ハァ、ハァ…。」としばらくの間、肩で息をしていた。
 「ハァ、ハァ、恐かったわ、リョウ。どこか知らない世界に行ってしまいそうだった…。こんなこと初めて…。リョウ、これが女の悦びなの?…」 彼の腕の中で甘えていた。
 「わたし…初めてなの…こんな感覚…。」
 「…ウソだろ…?」

 良の苦悩213 通算843
 「ホントなの…。リョウはわたしの初めての人…そして…リョウは…わたしに初めて女の悦びを教えてくれた人に…」。美津子は溢(あふ)れる涙を抑えきれずにいた。
 「リョウ、わたし、あなたがいなければ生きていけない女になりそう…」。
  四十歳を過ぎた女の情念がそこにあった。夫に強い執着がないのもそのせいののだろうか?
 「リョウ好き…あの頃よりもっともっと好きになってしまった…」 。

 良の苦悩214 通算844
 「リョウ、どうなるの?わたし、どうなるの?忘れなくなりそう…。リョウは悪い男…。」
 「…。」
 良は信じられなかった。美津子が今まで女の本当の悦びを知らないなど、信じられるはずもなかった。
 夫と交わりながら美津子は何を思っていたのだろうか?
 「リョウ、お風呂に入ろ。わたしが洗ってあげる。身体の隅々までね、うふ。」良の下半身に愛しむように触れながら、満ち足りた女の表情であった。

 良の苦悩215 通算845
 「身体に力が入らない。どうすればいい?リョウ…。」うっとりと彼を見つめながら、ベッドから身体を起こそうとした。
 「ミツコ…。」彼はそのまま彼女を抱きしめた。四十を過ぎて成熟した女の美津子がそこにあった。
 彼女との二十年間の距離が一気に縮まった気がした。 それは不思議な感覚であった。世の中に対する限りない憎しみが、まるでウソのように消えようとしていた。

 良の苦悩216 通算846
 錆(さ)びつかせたかった過去が、彼の胸中で駆(か)け巡(めぐ)った。世の中への憎しみと思いこんでいたのは、単なる美津子への未練の裏返しにさえ思われた。
 「クソ犬と感じていた俺は、一体、何だったのだろう?この二十年間の俺の生き様は何だったのだろう?」
 「リョウ、どうしたの?また、自分の世界に入っていない?」
 「ううん、何でもない。ミツコの喜びの大きさに驚いている。」

 良の苦悩217 通算847
 「バカ、リョウのバカ、バカ…、女の前でそんなこと言ってはいけないの…。」力の入らない腕に精いっぱいの力で良を抱きしめた。
 「二十年前の君もかわいかった。でも、今の君の方がもっと…。」
 「リョウ…好きよ。堪らなく好き…。わたし、どうしたらいい?」彼女の瞳からは情念が消えて、良への愛(いと)しみに満ちていた。
 「リョウ…。」「うん?」
 「こんなことなかったね。二十年前は。」
 「こんなことって?」
 「リョウの背中を流したこと…。」

 良の苦悩218 通算848
 互いの会話には交わる前には無かった、たおやかさがあった。それは満たされた二人の間だけに存在するものかもしれなかった。
 「ミツコ、もっとしっかり洗って…。」
 「だってぇ、力が入らないんだもの…。」背中から良を何度も抱きしめながら、美津子は甘えた。
 「前も洗ってくれる?」「いいわ。」愛しみを込めた美津子の手が、良の胸から腹を洗っていった。 美津子の手が良の下半身に触れた。

 良の苦悩219 通算849
 「それも洗って、ミツコ。」
 「うふ、また元気になってる。リョウって元気ねぇ。」大切な宝物を洗うかのような優しさがあった。
 「リョウはわたしの宝物…かけがえのない宝物。」彼は接近した彼女のうなじに唇を触れた。
 遠いあの日、求めて止まなかった美津子が夢でなく現(うつつ)の世界にいる。憎しみだけが彼の生を支えてきた。それはどうにも押さえられない美津子への未練であったのだろうか?

 良の苦悩220 通算850
 「ミツコ、君の身体を洗ってあげよう。」
 「嬉しいわ、リョウ。」彼女は良のなすままに身を預けていた。陶器のような白いきめ細かな肌が、彼の手に委(ゆだ)ねられていた。時折、彼の手が乳房に触れると可愛い声を上げた。
 「リョウ、わたしたちどうなるの?わたし、どうしたらいい?」「…。」
 「あなたとずっと一緒にいたい。家にはもう帰りたくない…。」「…。」
 「何か言って、リョウ。」

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       第3章 良の苦悩(BN)
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 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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