連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」

 美津子との再会281
  「お店の人、みんな良い人そうね。」
  「それが気に入ってこの店に来ている。経営者の人が反映されちるのだろう。それにこれから出されるパスタの感想を聞きたいなぁ。」
  「グルメのリョウが言うのだから楽しみ。早く食べたいわ。まだ来ないの?」
  「ミツコは小学生か。」
 「だってぇ…」 美津子は二十年前と同じように良に甘えた。茶褐色のワンピースがあくまで白い美津子のうなじを一層際立(きわだ)たせた。良はずっと彼女に見とれていた。

 美津子との再会282
 良の凝視(ぎょうし)に彼女も見つめ返した。二人の間には昔と変わらぬ感情の波が漂(ただよ)っていた。パスタを持ってきたホール担当女性は彼らに何を感じただろうか?
  「リョウ、これね、この香りね。」 美津子の瞳が輝いている。
  本格的な石窯(いしがま)で、しかも薪(たきぎ)で焼いたベーコンの香りが辺りまで漂(ただよ)った。もちろんハーブも使っているに違いない。しかし、緑に囲まれた立地だからこそ可能な贅沢(ぜいたく)だろう。

 美津子との再会283
  「リョウがここまでやって来る気持ちが分かるわ。わたしもときどき連れて来て。」  美津子も気に入ったのだろう、ベーコンの香りを楽しみながら食べている。
 四十を過ぎた成熟した女の色香が、背景の薄暮(はくぼ)の緑に映えて、幻想的な美しさを醸(かも)し出している。近代の洋画を見るようであった。良はともすれば食べることを忘れて彼女に見とれていた。
  「リョウ、早く食べないと冷えてしまうでしょ。」 彼女に促(うなが)されて我に返った。

 美津子との再会284
  「ドリームブリッジ」は壁の一部をガラス窓にして、石釜でパンを焼く様子が見えるレイアウトになっている。
  「パンも美味しいわ。石釜で焼いたパンは普段食べるものと全然違うわ。中身が濃い感じね。」 パン職人の仕事を見ながら、やや堅目のパンを口にした。偶然目があった良に、職人は軽く会釈(えしゃく)して微笑んだ。
  「リョウ、親しいのね、あの方とも。」
  「何回か通っていると親しくもなるさ。」

 美津子との再会285
 外を眺めるとライトアップされた「ドリームブリッジ」の芝が見えた。
  「リョウとこうしていると気持ちがとても落ち着くの。毎日の単調な生活を忘れさせてくれる。」
 「誰だって日常生活は単調さ。毎日変わったことは起きないよ。俺だって、会社に行って仕事をして帰ることの繰り返し。」
  「でもリョウは若い方と食事にも行くでしょう?この間のように…」
  「ああ、部下とはよく出かけるよ。若い人の気持ちを知りたいからね。この年になると若い人の気持ちが見えなくなるから…」

 美津子との再会286
  「二人とも綺麗な人だった。若くて肌もピチピチしていた。スタイルもすごく良かったわ。出るところは出て、締まるところは締まっていた。私のようなおばさんとは大違い。」
 チラッとしか見ていない美津子なのに、二人をしっかり観察していたのだ。
  「それにとっても楽しそうだった。まるで二十年前の私とリョウのよう…」  彼女は遠くを見つめる目をした。
  「あの頃は私もリョウと一緒によく笑い転げた。今はそんなことずっと記憶にないわ…」

 美津子との再会287
 美津子の心の底には、水を汲まれない井戸のように澱(よど)んだ何かがあるのだろうか?それとも幸せ過ぎて、幸せを実感できないのであろうか?良の理解を越えていた。   良の頭にある記憶が浮かんだ。それは「キスし過ぎ事件」とも言うべき出来事だった。デートするたびに、キスをいつでもどこでもしたものだった。
 デパートの階段の踊り場で「ミツコ」「ウン?」
 彼のほうを向いた瞬間、突然キスをして美津子を驚かせたこともあった。

  美津子との再会288
 彼女を送る途中の公園でのことだった。いつものように二人はハグしたあと軽いキスをした。
 その日、なぜか美津子ともっと居たかった。彼女をベンチに誘い強く抱きしめ、何度も何度もキスをした。彼女も嬉しそうに応えた。
  「次の朝『みっちゃん、唇が腫(は)れているわ、どうしたの?』ってお母様に言われた時、焦(あせ)ったわ。」
  「勉強していたら急に眠くなって、机で打っちゃった。」
  「お母様にウソついて上手く誤魔化したの。」 お母様は半信半疑で、
  「そんなことあるかなぁ?」って。

 美津子との再会289
 良の話を思い出したのだろう。美津子は今にも吹き出ししそうな笑いをこらえて、腹を必死に押さえている。彼女の身体は笑いに耐えるためだろう、小刻みに震えている。
  「止めてリョウ、その話は!お腹が痛くなる。お母様のあの時の表情を思い出すと…」
 「次の日もデートしたけど、唇がまだ腫(は)れて紫っぽくなっていたよ。」
  「ホントにやめて!お腹が痛い!」
  「リョウはひどいんだから!いつまでもキスして放さなかったでしょ、あの時…」

  美津子との再会290
  「楽しかったわ、リョウ。ホントに久しぶりに心から笑ったわ。」 美津子は晴れ晴れとしていた。来るときの愚痴をこぼしていた彼女とは別人のようだった。
  「それにお店の名前もいいわね。リョウとわたしの夢の架け橋…二十年前と今の夢の架け橋になればいいのに…。それに…私の人生の幸せへの夢の架け橋に…。」彼女は自分の言葉に酔っているようであった。
  帰りの車の中でふと懐かしい仄(ほの)かな香りがした。

 次のページへ(291〜300)

        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

                         トップページへ  追憶の旅トップへ

カウンタ