連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

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 「柳原さん、『洋食は十年がサイクルだ』と聞いたことがあります。ある著名な作家がおっしゃったとか。私も独立して八年になります。店の陳腐化と味の陳腐化が進んでないか、とても心配です。」
 「あなたほどの人が?」
  「味覚は時代とともに変わります。例えば、トロは今では高級食材ですが、昔は捨てていたとか。柳原さん、ぜひ、忌憚(きたん)ないご意見をお聞かせ下さい。」

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 そういえば、良には思い当たる節があった。美味しいと評判の堅焼きそばを、学生時代にはよく食べに行ったものだ。しかし、最近ほとんど行かない。
 一度食べたところ、余りにも堅すぎて美味しいと感じないのだ。彼だけでなく、その焼きそばを食べるお客がずいぶん減っている。社会全体が柔らかいものを求めるようになったのだろう。
 「確かにフランス料理も変わってきました。」
 恵理と美佳は彼の言葉に聞き耳を立てていた。

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  若い二人は彼らの会話を黙って聞いている。自分たちが口を出してはいけないことをわきまえているのだ。
 しかし、恵理の彼を見る目にはうっとりしたものがあった。
  「ルイ十四世、十六世の頃のフランス料理が古典的なものでしょう。その頃は輸送機関が発達していない上にパリは内陸部です。当時は冷凍技術も低かったので、臭いを消すためにソースが発達したのでしょう。そのためバター、ハーブを多く使った料理が主体になったと思います。」

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  「ところが、現在はそれらの問題が解消し、さらにホワイトカラーが増えた社会状況もあって、素材を活かした、キレのある料理に変わりつつあるのを感じます。」
 シェフと良の会話に、彼らは聞き耳を立てている。
  「少なくとも、私はシェフの料理は超一流だと思っています。」 良は続けた。
  「私なんかより、この若い二人の意見を聞く方が、今の時代の味覚がよく分かると思いますが…。どうだね、君たち?」

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 自分たちに話を振られて、恵里と美紀は顔を見合わせた。
  「私はシェフの料理が好きです。今日頂いた、どの料理も…。友達にも勧めたいと思っています。」  口火を切ったのは美紀であった。
 「紺野君は、食べ物なら何でも美味しいと言うだろう?」良がちゃかした。
 「部長、ひど 〜い! 本当に美味しいと思いましたよ 〜」
 彼女はお世辞を言うような子ではない。本当に美味しく感じられたのだろう。それは良にもシェフにも分かった。彼女の見事な食べっぷりはそれを示していた。

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  「シェフは部長の好みの味付けをしたと思います。私はほんのもう少しだけ濃い味が好きです。生意気なことを言ってすみません。」
  恵里はズバリ指摘した。彼女が指摘したように、若い彼女たちにはもう少し濃い味が好まれるだろう。シェフは核心を突かれたようだった。
  「さすがに柳原さんのお気に入りの部下ですねぇ、私がどうだろう?と思っていたことを、ズバリ指摘しますねぇ。」

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  良は彼女の率直さが好きなのだ。部長である良のアイディアでも、間違っていると感じたことはそれをハッキリ口にする。思ってもいないのに上司に合わせる茶坊主を、良は最も嫌った。
  「柳原さんとお二人との味付けを変えればいいのに、手抜きしてしまいました。料理の原点を忘れていました。申し訳ありません。」
  自分よりずっと年上のシェフに頭を下げられて、恵里の方が逆に戸惑っていた。
  「若いお嬢さんに、いい勉強をさせて頂きました。」

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  「恵里、一人だけずる 〜い、いい子になって!…でも、恵里は部長を…」
 そのとき、恵里は美紀をキッと睨(にら)んだ。それに気づいたのは美紀だけだった。
  彼らとの食事は楽しいものだった。良の気持ちを、その間だけは美津子を忘れさせてくれた。
  「彼女との先日の再会さえなければ、ずっと胸の奥にしまい込んで一生過ごせたのに…。」
  「あの日、『まちかど』に行かなければよかった。」 二人と別れた後は、美津子のことばかりが思い出された。

 美津子との再会89
  「俺の心を弄(もてあそ)んでいるのではないか?」との疑惑も浮かんでは消えた。 実際、二十年前の美津子との出会いは、彼のその後の人生に大きな影響を与えていた。
 単に一人の女性との出会いと別れではなかった。もちろん、その後の女性の好みだけではない。
 別れなければならなかった社会のあり方への強い反発−憎しみと表現した方が適切だろう−が、良の生きる支えさへなっていた。
憎しみが命と言えば言い過ぎだろうか?

 美津子との再会90
 それだけではなかった。将来、彼女の夫となるであろう男性に、
「負けてたまるか!」
  見えない相手に強い敵愾心(てきがいしん)を抱いた。彼女と別れて以来、良の生きる目的が憎しみと嫉妬で固められていた。
  「愛している」とすぐに口にし、喧嘩(けんか)をすると「別れた」と軽く言う愛は、良の愛とはまったく異質であった。彼らの愛はまるで、幼稚園の「もう、遊ばな 〜い」と同じに感じていた。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

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